ハヤブサ24

九州出身の鉄道ファンです。
現在は関東に在住しています。このブログは主に鉄道系のニュースなどを投稿したり、時々、鉄道で旅したときの日記なども投稿します。 鉄道以外の乗り物も投稿することもたまにはあります。

    2020年06月



    (出典 cdn-ak.f.st-hatena.com)


    115系は数を減らしている。

    2編成が営業運転を相次いで終了します。

    しなの鉄道2020年6月26日(金)、新型車両SR1系電車の運行開始に伴い、115系電車のS23編成(2両)が7月3日(金)、S6編成(3両)が4日(土)にそれぞれ営業運転を終了すると発表しました。

    S6編成は1977(昭和52)年12月、S23編成は1978(昭和53)年5月、いずれも日本車輌製造豊川蕨製作所(愛知県豊川市)で製造されました。国鉄長野鉄道管理局の松本運転所に配置され、民営化でJR東日本が継承した後も長野・松本地区を中心に使われました。

    S6編成は長野新幹線北陸新幹線)が開業し、並行在来線軽井沢~篠ノ井間がしなの鉄道線として開業した1997(平成9)年10月1日JR東日本からしなの鉄道に転入。同社所属の車両では最も古く、総走行距離は地球約132周分にあたる528万5195kmに上ります(2020年6月現在)。

    S23編成は運用終了となった169系電車の置き換えとして2013(平成25)年6月1日に、JR東日本からしなの鉄道に転入。総走行距離は地球約84周分にあたる3381079kmです(2020年6月現在)。

    両編成とも、営業運転終了後はほかの115系の維持を目的とした部品取りのために廃車となります。7月18日(土)にはしなの鉄道本社前(長野県上田市)で「115系解体お持ち帰り体験会」が開催予定。つり革やいすの座面、ボックス席のフック、座席札、テーブルを自分で外して持ち帰れるほか、参加者限定の入札部品販売も予定されています。20人限定で参加費は1万3000円。募集はウェブサイトで7月1日(水)から8日(水)まで。応募多数の場合は抽選です。

    営業運転を終える115系電車のS6編成(画像:しなの鉄道)。


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【しなの鉄道の国鉄型電車「115系」最古参含む2編成が引退 解体&部品持ち帰り体験会も】の続きを読む



    (出典 pds.exblog.jp)


    時刻表があれば、うまい具合にスルーできます。

    2020年4月から5月にかけて新型コロナ対策の緊急事態宣言が出され、戦後初ともいえる「都道府県をまたぐ移動の自粛」が呼びかけられ、鉄道各社の判断による減便や観光地の閉鎖が行われた。これらの自粛要請6月19日をもって取りやめとなったが、戦時中にも「不要不急」の旅行が取り締まられた時代があった。

    その締め付けは昨今の自粛要請の比ではなく、1940年頃から1945年の敗戦まで数年をかけて移動の自由を制限されていった。その間の出来事を調べていくと、現代との類似点も見つかる。

    貨物輸送最優先、旅行は「不要不急」

    1937年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発、世は戦時色が強くなっていくが、まだこの時期は旅行への自粛ムードは強くなかった。というのも1940年には東京オリンピックと皇紀2600年を控えており、五輪こそ中止になったものの修学旅行などの団体旅行は盛況、特に神社や陵墓が多い関西は皇紀2600年で盛り上がった。

    それでも戦線は拡大し続け、鉄道への負担が増していく。軍需輸送に対応するためには貨物列車の増発が必要だが、線路容量には限界がある。ゆえに国鉄は旅客列車を削減しなければならなくなる。これが不要不急の旅行の自粛につながるというわけで、長距離の移動を自粛すべきというムードが徐々に形成されていった。道路事情が劣悪だった当時、陸上の公共交通は旅客・貨物とも鉄道が圧倒していたが、繁忙期に運転されていた臨時列車が運転されなくなり、団体旅行の統制も始まる。

    国鉄(鉄道省)はどのような手段をとったか、『日本国有鉄道百年史』や当時の新聞記事をもとに調べてみると、具体的には「値上げ」「切符の発売制限」「列車の削減」「許可証の発行」である。

    まず、運賃の値上げは、戦費調達のための「通行税」の新設という形で1940年4月1日に運賃・料金の値上げが行われる。物価上昇なども理由ではあるものの値上げは繰り返され、1942年には急行料金・寝台料金が1割~5割(等級による)の大幅値上げが行われた。以後1944年、45年と段階的に値上げされていく。

    乗車券の発売制限は、1940年に100㎞以下の急行列車の切符の制限が始まったのを嚆矢とする。当初は年末年始などの繁忙期に限って発売枚数を限定するやり方で始まったが、次第に対象の列車の拡大や、列車の指定席化が行われた。1941年12月8日太平洋戦争開戦後は貨物列車の一層の増発が必要になり、特急・急行列車の削減が続いた。このように戦時中の旅客サービスは縮小一辺倒で、切符を買うには長時間の行列が常態化、乗れても通勤列車並みのすし詰めという密の状態が日常茶飯事だった。切符を仲介するブローカーが暗躍していたことも当時の新聞で伝えられている。

    「旅行ノ自粛徹底ヲ期スル」

    1944年2月25日に発令された「決戦非常措置要綱」では産業への統制が一層厳しくなるが、鉄道も例外ではない。同要綱の

    「決戦非常措置要綱ニ基キ戦力増強並ニ防空疎開ニ必要ナル輸送ヲ強化スル為国民戦意ヲ昂揚シ旅行ノ自粛徹底ヲ期スルト共ニ旅客輸送(通勤及通学ヲ除ク)ノ徹底的制限ヲ実施セントス」

    という方針のもとに特急列車は全廃、44年4月1日から100㎞以内の乗車券は発売枚数制限を行い、100㎞以上の旅行については軍人・官吏は所属官庁の証明書、民間人は警察署などで取得した証明書がないと乗車券が発売されないとなった(『日本国有鉄道百年史』より)。しかしこの制限は警察署の作業を煩雑にするだけとのことで、9月には証明書制度は廃止になったが、臨時召集などの公務で移動する人のための証明書の発行は続いた。これがあれば行列の中でも優先的に切符を買えるのである。

    1945年6月からは東京・上野・新宿・横浜・大阪などの主要駅に旅行統制官が置かれ、申請された旅行内容に基づいて旅行を認めるようになった。旅行統制官による統制は終戦後の45年10月に制度が廃止されるまで続いた。

    あの手この手で抜け穴探した国民たち

    では、これらの統制に国民は大人しく従っていたかというと、そうではなかった。抜け穴を突いて束の間の旅行を楽しみ、あるいは生活のために出かける国民はいた。

    ポピュラーな手口は「乗り越し」である。証明書がいらない短距離の切符を買っておいて下車駅で精算してしまえばよい。特に定期券や都市部の国電区間の切符を使い、地方へ買い出しに向かう手口は戦争末期まで続いた。逆に切符の発売制限が近距離乗車券に限られていた時期は、わざわざ長距離の切符を購入して途中下車の体裁で近場の目的地に降りる手口も目立った。これらに対応して当局も「決戦非常措置要綱」発令に伴って定期券による乗り越しの禁止や罰則の強化を行った(朝日新聞1944年4月7日)。

    長距離の私鉄が発達している地域では私鉄で行けるところまで行き、国鉄に乗り換えることもできた。小田急小田原線(当時は東急電鉄の一部)で小田原に出て国鉄に乗り換え、湯河原・熱海方面に向かう旅客の手口は新聞にも報じられている(読売新聞1944年4月3日)。関西・東海・九州でも同様の手段は可能だっただろう。

    さらに国民の本音を拾ってみよう。1926年生まれの旅行作家・宮脇俊三は戦時中の買い出しについて

    「大きな荷物を背負った買出し部隊で汽車はますます混雑するようになった。これに対して『鉄道は兵器だ』『決戦輸送の邪魔は買出し部隊...』といった標語が駅に貼られたりしたが、効果はほとんどなかったと言ってよかった」

    と、自著『時刻表昭和史』で回想する。さらに宮脇の回想によれば、旅行証明書による旅行制限も、官公庁のコネを活用して証明書を入手する抜け穴があり、切符も鉄道職員の裁量で買える例もあったとのことだ。旅行統制官のもとにも「公用」と称しての虚偽申告がかなり多いと報じられている(読売新聞1945年7月18日付)。戦争末期に空襲が激化すると罹災証明書があれば優先的に切符が買えるようになり、混乱期には臨時に仕立てた疎開列車に切符を買わずとも乗れる場合もあった。

    これらの抜け穴を認識している当局としては「自粛」を呼び掛けることになる。例えば内閣情報局発行の国策雑誌「写真週報」315号(44年3月発行)は決戦非常措置要綱発令後の混雑した上野駅の写真を表紙に採用し「『自分さえ旅行できればよい』この根性の行列が続く限り決戦輸送は空転する」と訴えている。

    「自粛警察」と化した新聞

    いくら規制を強化しても限界があったのはコロナ禍と極めて似ている。そしてメディア、特に新聞は庶民の実態を報じるだけでなく、「自粛警察」さながらの見出しで引き締めにいそしんだ。

    1942年11月24日朝日新聞には「足の自粛 まづ成績甲」の見出しに始まり、熱海・伊東・高崎の人出の減り具合を取材、何割減ったかと細かに伝えている。19434月4日の同紙もまた「用事の客は立往生 敵前行楽を追払え 列車に鈴なりの遊覧群」の見出しで、小田原・熱海・三島・沼津・日光の人出を観測し、出かける人々を「時局に相応しくない光景」「足の自粛調は未だしの感がふかかった」と報じている。44年1月18日にも「戦争に勝つためだ 旅行は取りやめ」と国民にハッパをかける見出しが踊る。

    読売新聞も43年10月17日付で「都民の自粛ぶり 連休第一日 足の戦闘配置」との見出しのもと、関東近郊の行楽地の駅の人出を報じていた。他にも「連休に乱れる足の自粛 また買出し行列 乗越禁止も知らぬ顔」(44年4月3日)「乗車証明を濫用 近郊へ自粛忘れた買出部隊」(44年7月3日)などと報じている。

    このコロナ禍でも、多くのメディアが主要駅の映像を映し出し、「人手が何割減ったか」とセンセーショナルに伝え続けたことは記憶に新しい。そしてまた、戦中の食糧難の中で買い出しに出かける人々にとってはとても不要不急などではなかっただろう。

    戦時中の「旅行」をめぐる一例を挙げたが、敗戦まで統制は様々な産業に及んだ。このような歴史は、今年前半の新型コロナの蔓延以降混乱が続く現代社会でも読み取れる教訓を残していそうだ。幸い当時と異なり憲兵も特高もいないのだから、戦争・災害といった緊急事態に社会はどうあるべきなのか、歴史を見つめつつ冷静に考えるべき時かもしれない。

    J-CASTニュース編集部 大宮高史)

    戦時中も「不要不急の旅行の自粛」が呼びかけられていた


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【戦中日本の「旅行制限」 メディアは国民に「自粛」を迫った】の続きを読む



    (出典 www.yomiuri.co.jp)




    肥後大津からすれば、よかったと思います。

    1 爆笑ゴリラ ★ :2020/06/17(水) 10:26:12.79


    6/17(水) 10:21
    西日本新聞

    熊本県が空港鉄道事業化を再検討 整備に最大561億円、試算超す
    熊本空港へのアクセス鉄道ルート案
     熊本県は16日の県議会特別委員会で、熊本空港(同県益城町)へのアクセス改善を目的とした鉄道新線の整備計画について詳細に調査した結果、整備費が最大561億円となり、従来の試算額380億円を上回ると報告した。県は、国が整備費の18%を負担する「空港アクセス鉄道補助金」では採算が合わず、事業許可は困難と判断。蒲島郁夫知事は「いったん立ち止まる」として、今後1年程度かけて事業化を再検討する考えを示した。

    【画像】熊本空港アクセス鉄道の4案

     計画ではJR豊肥線三里木駅(同県菊陽町)から県民総合運動公園(熊本市東区)を経由し熊本空港と結ぶ。県などが出資する第三セクターが整備。昨年2月、豊肥線の増益分から総事業費の最大3分の1を払うことでJR九州と合意した。

     県によると、調査は鉄道・運輸機構が実施し、三里木駅周辺の地下トンネルの有無などでルートや整備方法の異なる4案を検討。その結果、熊本空港付近のトンネルを当初の予定より長くする必要があることなどが分かり、整備費は437億~561億円に膨らんだ。このため、事業許可の目安とされる40年以内の累積資金収支の黒字化は困難になったという。県は「国の補助が3分の1ならば黒字化が可能」として、増額を要請している。

     調査時点では、新型コロナウイルスによる空港利用者の減少は考慮されていない。県は、鉄道・運輸機構に費用対効果の追加調査を求めた上で、有識者や交通事業者による検討委員会を設け、新型コロナの状況も踏まえて事業化の是非を判断する方針。


    (出典 amd.c.yimg.jp)


    (出典 www.nishinippon.co.jp)

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200617-00010005-nishinpc-bus_all


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    (出典 blogimg.goo.ne.jp)


    新大阪宮原操車場にはいろんな車両がいました。


    蜂谷あす美たちが視聴者とぎくしゃくしながら鉄道トークする毎週水曜日18時生配信中「LINE LIVE しゃべ鉄気分」↓↓↓
    https://live.line.me/channels/576/broadcast/14128581

    きのう6月24日生配信した内容が6月26日5時 までアーカイブで公開中。

    今回は、京急品川駅周辺の連続立体交差事業について。北品川を高架化し、高架の京急品川駅ホームを地平化するという難工事について。

    京急品川駅 地平ホームが出現するJR山手線電留線跡地は、すでに電留線の線路はほぼ撤去済み。更地になっていた。

    次は、蜂谷あすみが大阪へ取材に行ったさいに寄り道した宮原操車場。サロンカーなにわや、12系客車が留置されているシーンを、パシャ。

    JR全線完乗したという蜂谷あすみが、記録更新のために未乗のおおさか東線に乗車。201系に乗って全線を踏破したときのエピソードや、パンダが描かれた特急くろしお287系なども。

    また、蜂谷あすみが2008年に乗った ムーンライト九州の画像も。「この夏、ムーンライトながらは運転しない」という衝撃ニュースを受けての、ムーンライト九州。14系客車列車の夜行列車旅の思い出を。

    さらに、7月1日から営業運転につく新幹線 N700S について、記事とともにみていくと……こうしたドタバタなてん末は、LINE LIVE しゃべ鉄気分 アーカイブで、チェック↓↓↓
    https://live.line.me/channels/576/broadcast/14128581



    (出典 news.nicovideo.jp)

    【京急品川駅地平化おおさか東線 新大阪宮原操車場 ムーンライト九州 新幹線N700S【6/24 LINE LIVE しゃべ鉄気分】】の続きを読む



    (出典 images.tetsudo.com)


    秋田で乗り鉄。

    土休日とお盆期間に使えます。

    JR東日本秋田支社は2020年6月24日(水)、冬に発売していた企画乗車券「あきたホリデーパス」をこの夏に発売すると発表しました。

    秋田県内を走るJR線などの普通・快速列車の普通車自由席が1日乗り放題。秋田新幹線を含む特急列車や急行列車、全車指定席の快速「リゾートしらかみ」などに乗車する際は、別に特急券、急行券、指定席券を購入すると利用できます。対象線区は次のとおりです。

    JR東日本
    奥羽本線 院内~大曲~秋田~東能代~大館間
    田沢湖線 田沢湖~大曲間
    羽越本線 象潟~秋田間
    男鹿線 全線
    五能線 東能代~能代間
    花輪線 湯瀬温泉~大館間

    秋田内陸縦貫鉄道
    ・秋田内陸線 全線

    由利高原鉄道
    ・鳥海山ろく線 全線

    発売額は大人2440円、子ども1220円、「大人の休日倶楽部」会員1880円。発売は7月16日(木)から9月27日(日)。利用は7月23日(木)から9月27日(日)までの土休日と、8月8日(土)から16日(日)までの毎日です。きっぷはフリーエリア内のみどりの窓口、指定席券売機、びゅうプラザなどで販売されます。

    鷹巣~角館間を結ぶ秋田内陸縦貫鉄道(画像:photolibrary)。


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【「あきたホリデーパス」今年は夏も発売 秋田県内のJR・三セク鉄道が1日乗り放題】の続きを読む

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