ハヤブサ24

九州出身の鉄道ファンです。
現在は関東に在住しています。このブログは主に鉄道系のニュースなどを投稿したり、時々、鉄道で旅したときの日記なども投稿します。 鉄道以外の乗り物も投稿することもたまにはあります。

    カテゴリ: 関東の鉄道


    昔、そこにも貨物駅があったんですね。

    日本鉄道が1885(明治18)年に内藤新宿駅として開業させた駅がルーツの、新宿駅。↑↑↑画像は10年前、2011年の光景。

    JR東日本エリア内の1日平均の乗車人員は、コロナ前の2019年度で77万5386人。JR東日本エリアランキングで第1位。

    私鉄や地下鉄をあわせると、1日平均乗降客数は353万人。この数字は、乗降客数世界最多の駅としてギネスブックに登録されている。

    そんな新宿駅の47年前。1974(昭和49)年当時の上空をみると、まず気づくのは、いまあるタカシマヤタイムズスクエア(新宿高島屋)がない、西新宿の高層ビル群が建設中、小田急新宿駅地下ホームへと続く線路敷設工事中……など。

    新宿貨物駅の跡地にタカシマヤタイムズスクエア

    この国土地理院による上空画像は、1974年当時の新宿。線路群と甲州街道が立体交差する地点の右下に、コンテナが並ぶ貨物ヤードがある。このあたりが新宿貨物駅。

    新宿貨物駅は1984(昭和59)年に廃止。この緑色のコンテナが並ぶコンテナヤードに、いまタカシマヤタイムズスクエアが建っている。

    ニューヨークのエンパイアステートビルディングに似たいまのNTTドコモ代々木ビル(ドコモタワー)がある地は、もともと戸建ての建屋が並ぶ地だった。

    建設中の小田急線地下ホーム連絡線や西武新宿駅ビル

    もう少し近づいてみる。まず南側の小田急線小田急新宿駅の地下ホームへと続く線路の敷設工事がみえる。

    甲州街道の北側、現在のルミネエスト新宿(駅東口)寄りに、着発待機中と思える貨物列車が並ぶ。ここにいま、湘南新宿ライン埼京線ホームなどがある。

    さらに北側、新宿大ガード(青梅街道架道橋)あたりには、建設中らしき西武新宿駅ビル。これが現在の西武新宿PePe-ペペ だと思う。

    ―――この50年で大きく変わった新宿は、さらに次の50年へむけて再開発事業がすすんでいる。コロナが収束したあと、新宿のいまをみに、ゆっくり歩いてみたい。



    (出典 news.nicovideo.jp)

    【新宿貨物駅 跡地のいま、小田急地下ホームや西武新宿駅ビルが建設中のころ_新宿1974】の続きを読む


    スゴいです。

    東武鉄道は、「東武東上線全46駅記念乗車券」を東上線越生線主要駅で3月13日から発売する。

    この東武東上線全46駅記念乗車券は、2020年10月31日に開業した「みなみ寄居<ホンダ寄居前>駅」の本設置化を記念した300セット限定品。

    東上線越生線各駅の乗車券セットでつき、表紙はみなみ寄居駅舎を使用。中面には東上線越生線の各駅開業日を年表にして紹介している。

    46枚ある記念乗車券は、大人片道の硬券でOPP袋入り。各駅から150円区間。有効期間は、2021年3月13日2021年4月12日。1回限り有効。

    払いもどしのさいは、各券片未使用につき150円の手数料がかかるため、実質払いもどし額は発生しない。

    販売は、池袋、下板橋、大山、上板橋、成増、和光市、朝霞台、志木、ふじみ野、川越、川越市、若葉、坂戸、東松山森林公園、小川町、武州長瀬の合計17駅で。

    販売価格は、1セット6900円。300セット限定でひとり2セットまで購入できる。

    大正時代に全通した東上鉄道がルーツ

    東上線は、1914(大正3)年に開業した東上鉄道 池袋~田面沢(現在の川越市~霞ケ関 33.5km)がルーツ。現在の東上線大正時代に東上鉄道が全通させた。

    1920(大正9)年に東上鉄道と合併し、東武 東上線に。1943年には東武鉄道が越生鉄道を買収するかたちで東武 越生線に。

    東武東上線系統は現在、東上本線 池袋~寄居 75.0営業キロに39駅、越生線 坂戸~越生 10.9営業キロに7駅あり、合計46駅で構成。その最も新しい駅、みなみ寄居<ホンダ寄居前>駅は、ホンダ寄居工場の最寄り駅として2020年10月に開業した。

    東武東上線にあす18年ぶりの新駅が誕生 「みなみ寄居駅」開業式典の様子をお届け!
    https://tetsudo-ch.com/10857785.html

    東武東上線新駅は「みなみ寄居 <ホンダ寄居前>」 2020年10月31日開業
    https://tetsudo-ch.com/9966035.html

    (画像:東武鉄道



    (出典 news.nicovideo.jp)

    【すごい枚数!「東武東上線 全46駅記念乗車券」3/13から限定数販売、大正時代に全通した東上鉄道がルーツの東上線系統46駅コンプリート】の続きを読む


    イイ写真が撮れそうです。

    写真はイメージ。並ぶ機関車カラーは写真と異なる場合がある。

    大井川鐵道3月27日(土)、井川線に焦点を当てた乗り鉄撮り鉄ツアー「井川線DB・DD夜間撮影ツアー」を実施する。

    クールジャパンワード2019受賞の「奥大井湖上駅」や秘境駅ランキングで常に上位に顔を出す「尾盛駅」、日本唯一のアプト式鉄道など、見所満載の井川線。しかし大井川本線終着駅の千頭が起点となり、運転本数も多くはないことから、乗りに行くにも撮りに行くにも若干敷居が高い。

    そこで同社は乗り鉄撮り鉄両者が納得できるような企画を用意。井川線完全乗車ができるほか、大井川流域で新たな桜の名所となりつつある「川根両国駅」での夜間特別撮影会にも参加できるという。

    ツアーの見所(by大井川鐵道)

    ・井川線(片道25.5キロ 所要およそ1時間50分)を平均時速15キロほどで完全乗車

    ・客車の窓を開け、春のやわらかな大井川渓谷の空気を全身で体感できる

    ・井川線の名車であるDB1形ディーゼル機関車とスハフ1形客車の編成写真撮影会を実施

    ・営業列車の主力ディーゼル機関車DD20形3両とDB1形ディーゼル機関車との横並び撮影会も実施

    ・大鉄金谷駅⇔井川駅ツアー特別乗車券は2日間有効。翌日も乗り鉄撮り鉄が楽しめる

    夜間撮影会では開花状況により桜の木もライトアップするため、夜桜と車両の共演写真撮影ができるかもしれない。その他詳細は大井川鐵道のホームページへ――

    参加費は大人1名10,500円、小人1名8,500円。大鉄金谷駅~井川駅で27日・28日有効のツアー専用乗車券と食事2回、撮影料、保険料を含む。定員は30名。大井川鐵道公式HPの受付専用フォームにて、2021年3月1日9時~7日23時59分まで申込を受け付ける。

    鉄道チャンネル編集部
    (画像:大井川鐵道



    (出典 news.nicovideo.jp)

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    215電車(215けいでんしゃ)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の直流近郊形電車。1992年(平成4年)から1993年(平成5年)にかけて10両編成4本(40両)が製造された。 増加する東海道本線東京口の遠距離通勤に対応し、着席サービスと並行する貨物線を活用した速達サービスを提供するための通勤ライ
    16キロバイト (1,879 語) - 2021年2月17日 (水) 03:14



    (出典 livedoor.blogimg.jp)


    どうなるのかな?

    1 砂漠のマスカレード ★ :2021/02/27(土) 19:04:55.50 ID:708pW7MZ9.net

     3月13日に実施される、JRグループ春のダイヤ改正。今年のJR東日本のダイヤ改正では、首都圏最後の現役国鉄型特急車両、185系の定期運用終了が注目されています。
     その裏で、JR化後に製造された車両も、定期運用が消滅するものが。その車両とは、「湘南ライナー」などで活躍した215系です。

     1980年代、首都圏の各主要国鉄路線における通勤輸送を改革する、いわゆる「通勤五方面作戦」は完了していましたが、それでもなお、ラッシュ時においては今も続く混雑が見られる状況でした。そんな中、1984年には、上野~大宮間で国鉄初のホームライナーが誕生。総武線や阪和線、東海道本線へ波及していきます。長距離通勤時における着席というニーズが求められていたためです。
     ホームライナーは、人気路線では満席となる列車が続出。また、東海道本線や横須賀・総武快速線の普通列車に連結されていたグリーン車も、ラッシュ時には立ち客が出るほどの乗車率となっていました。
     国鉄分割民営化で誕生したJR東日本では、この課題を解決すべく、2階建て車両の投入で座席定員を増やす方向に舵を切りました。
     まず、人気が高かった普通列車グリーン車については、1989年に113系と211系の2階建てグリーン車が登場。東海道本線や横須賀・総武快速線に投入されました。この2階建てグリーン車は、車両が置き換えられた後もコンセプトは引き継がれ、2020年12月にデビューした横須賀・総武快速線用のE235系にも連結されています。
     一般車両については、1991年にクハ415-1901の1両を試験的に製造。常磐線用415系の1形式で、2階席は通常よりも1列増やした3+2列配置のボックスシートを設置するなど、座席数増加を目的に設計された車両でした。
     そして、クハ415-1901のデータを基に登場したのが、全2階建て車両となる215系。ライナー列車への充当を考慮し、クハ415-1901とは異なる2+2列配置のボックスシートを設置しましたが、1両あたり片側2か所の扉配置など、基本的な見つけは415系のものを踏襲していました。
     なお、全2階建て、と言われる215系ですが、両先頭車の1階部分は機器スペースとなっており、実際には中間の8両が2階建てです。それでも、新幹線や海外の鉄道車両に比べて車両の最大サイズが小さい日本の在来線車両(路面電車を除く)において、全2階建てと言える設計となっているのは、「サンライズエクスプレス」285系と、この215系のみ。普通・快速列車向け車両としては、215系が唯一の存在となっています。
     湘南ライナー運転開始当時から活躍していた185系の座席定員が、10両編成では604人、15両編成でも916人だったところ、215系は10両編成ながら1010人と、多くの座席定員を確保していました。
     また、当初は5両編成の付属編成を製造する計画もあったと言われており、先頭車の電気連結器がその名残を留めています。
     1992年に製造された第1編成は、同年4月に「湘南ライナー」での営業運転を開始。翌年には、さらに10両編成3本が製造されました。運用も、朝夕のライナー列車だけでなく、東海道本線の快速「アクティー」や、土休日を中心に運転される中央本線の臨時快速「ホリデー快速ビューやまなし」にも投入され、幅広い活躍が見られました。
     しかしながら、215系はその設計がネックとなり、次第に活躍の場を追われていきます。
     ドアが1両あたり片側2か所のみ、かつ車内に階段がある設計では、多数の乗降客がいる場合、他の一般的な車両よりも乗降に時間が掛かってしまいます。長距離の行楽客だけでなく、短距離利用客もいる「アクティー」の運用では、この点がネックとなってしまいました。
     そのため、2001年12月のダイヤ改正をもって、215系は「アクティー」の運用から撤退。このダイヤ改正で運転を開始した湘南新宿ラインにおいて、新宿駅を発着する横須賀線直通系統などの列車に使用されました。しかし、2004年10月のダイヤ改正で湘南新宿ラインの新宿駅発着列車が消滅し、車両もE231系に統一されたことで、215系の一般列車定期運用は消滅してしまいました。
     
    https://news.yahoo.co.jp/articles/c04dc542b8f4226937a1753add86178a503b5377
    2/27(土) 10:57配信



    (出典 images.tetsudo.com)


    (出典 pbs.twimg.com)


    (出典 image.space.rakuten.co.jp)


    【【鉄道】ついに定期運用終了、その後は? 全2階建て車両の215系】の続きを読む



    (出典 www.torepa21.com)


    できたらどうなっていたのかな?

    1 砂漠のマスカレード ★ :2021/02/24(水) 07:21:46.32 ID:UDORULBN9.net

    2021年で開通90周年を迎える東武鉄道の一駅間だけの支線「大師線」。本来は「第二山手線」ともいうべき路線の一部で、東武も建設に意欲を注いでいました。延伸はなぜ実現しなかったのか、ミニ支線に秘められた歴史を紐解きます。

    もともと大師線でなく「西板線」 西と板はどこを指す?
     東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の西新井駅から延びる支線「大師線」が、2021年で開通90周年を迎えます。西新井~大師前のひと駅間を2両編成の電車が結ぶ路線で、終点の大師前駅は「関東三大師」に数えられる西新井大師に隣接しています。

     特に正月などは参拝客でにぎわう路線ですが、もともとは西新井大師のアクセス路線として計画されたわけではありません。東武の資料で「『第二山手線』とも呼べる」とする、壮大な計画路線の一部のみが実現したものです。

     その名は「西板線」。西は西新井、板は「板橋」です。現在の東上線 上板橋駅までをつなぐ全長11.6kmの路線になるはずでした。


    (出典 image.news.livedoor.com)


    もともと東上線は東上鉄道という別会社でしたが、1920(大正9)年に東武鉄道と合併。東武の本線系統と離れた東上線との連絡線を設けることで、業務上の合理化と、当時は田園が広がっていた沿線の開発との両得を期待していました。東武の社史には、建設費に対する利益率も高く「抜群の効率経営計画」とあり、建設に意欲的だったようです。

     途中駅は西新井側から大師前、鹿浜(いずれも足立区)のほか、荒川放水路と隅田川を渡って神谷(北区)、さらに東北本線と赤羽線(埼京線)を越えて板橋上宿(板橋区)の4駅が計画されていました。そのルートは現在の環七通りとほぼ一致し、東上線には、現在のときわ台駅付近で合流する予定でした。

     これが実現しなかった最大の要因は、1923(大正12)年の関東大震災にあるといえます。国へ西板線の免許を申請したあとに震災が起こり、東武線も大きな被害を受け、この対応のために西板線の計画は後回しになったのです。翌年に免許が交付されたものの、工事に着手できる状態ではなかったといいます。

    https://news.livedoor.com/article/detail/19745343/
    2021年2月24日 6時20分
    乗りものニュース




    (出典 contents.trafficnews.jp)


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