ハヤブサ24

九州出身の鉄道ファンです。
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    カテゴリ:鉄道 > 鉄道車両


    117電車(117けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1979年から製造した直流近郊形電車。 1979年から1986年にかけて、主に老朽化した153の代替用として216両が製造され、1987年の国鉄の分割・民営化時には東海旅客鉄道(JR東海)に72両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に144両がそれぞれ承継された。
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    数を減らしている。

    〜〜国鉄形電車の世界その9 「117系」「211系」「213系」〜〜

     

    スピードランナーといった風貌の117系、国鉄最末期に生まれた211系213系。それぞれ、直流近郊形電車を代表する車両として長らく走り続けてきた。

     

    今回は、“新快速”として東海道山陽本線を走った117系を中心に、今も多くが活躍する211系、車両数は少ないながらもローカル線を走り続ける213系と、国鉄近郊形電車のいまに迫ってみよう。

     

    【はじめに】JR西日本の117系にも徐々に引退の動きが

    大阪出身の友人いわく「新快速はなあ、新幹線よりも速くて安くて便利なんやでぇ」。30年以上も前に聞いた言葉を、今も鮮明に覚えている。関西の人たちにとって、「新快速」は他所の人たちについ誇りたくなる電車ということだったのだろう。もちろん新大阪駅京都駅間のみならば、新幹線のほうが早い。だが、大阪駅京都駅間と広げて見れば侮れない速さと手軽さなのである。

     

    友人が誇らしげに語った「新快速」の電車といえば、そのものずばり117系直流近郊形電車を指したものだったのであろう。1979(昭和54)年に登場、1986(昭和61)まで216両が製造された。117系が登場するまで、新快速には急行形電車の153系が使われていた。急行形ということで乗り心地は良かったものの、昭和30年台の誕生と古く、ボックスシートなどの車内設備が陳腐化しつつあった。

     

    ◆平行して走るライバル社との競争が117系を生み出した

    東海道本線が走る大阪〜京都間には、阪急電鉄京都線京阪電気鉄道京阪本線がほぼ平行して走る。古くから競争がし烈で、私鉄の2線ではすでに転換クロスシートを取り入れた車両が走り、好評を得ていた。そうしたライバル路線との競争に負けないようにと国鉄が生み出したのが117系だった。

    クリーム色のベースブラウンの細帯が入る117系登場時の原色カラー。現在、同色の車両は走っていない 2015年9月22日撮影

     

    117系が誕生するまで、国鉄の通勤形電車、近郊形電車は全国で利用ができる標準的な車両を生み出す傾向が強かった。しかし、関西圏では競争が激しかったこともあり、乗りたくなる魅力を持った電車の開発に乗り出した。そうして生まれたのが117系だった。急行形を上回る乗り心地と、快適な室内設備をかね備え、同じ近郊形電車の113系の最高運転速度が100km/hに対して、117系110km/h(西日本の117系115km/h)とより速く走れるような造りだった。

     

    登場以降、好評となり1999(平成11)年まで20年にわたり新快速として走り続けた。1982(昭和57)年には東海地区にも117系が導入されている。こちらは「東海ライナー」という愛称で走り始めた。

     

    117系が残るのはJR西日本のみに

    国鉄からJRに変わって以降、117系JR西日本144両が、JR東海に72両が引き継がれている。それから30年以上たった117系の現状は……? すでにJR東海では2013(平成25)年3月のダイヤ改正時に定期運用が終了、翌年1月で全車が引退している。

    東海道本線の稲沢駅付近を走るJR東海117系。白地にオレンジ色の帯が巻かれていた。左に愛知機関区が見える 2011年5月22日撮影

     

    残るのはJR西日本の82両(2020年4月1日現在)となっている。まだ“大所帯”なものの、ここ数年、廃車や移動する車両がやや見られるようになってきた。例えば、2019年まで吹田総合車両所日根野支所・新在家派出所には117系は20両が配置(2019年4月1日現在)され、紀勢本線などを走り続けていた。オーシャンブルーに塗装された華やかな姿の117系だったが、翌年までに同車両基地の117系は、引退および、一部が別の車両基地へ移動となった。

     

    今後、JR西日本では経年33年以上たった車両、すなわち国鉄時代に誕生した車両の置換えを行うとしている。そのうち車両置き換えが具体化しているが113系117系で、約170両を新製車両に置換えるとされる。置換え予定の年度は2022〜2025年度とのことだ。

    オーシャンブルーの華やかなカラー紀勢本線などを走り続けてきた和歌山地区の117系2020年で消滅している 2018年10月13日撮影

     

    和歌山地区の117系がわずかな期間で消えたように、置換えが始まると、あっという間に、ということになる。40年にわたり活躍してきた117系も、徐々に消えていきそうな気配だ。最後の“職場”となりそうな2つのエリア117系の活躍ぶりを見ていくことにしよう。

     

    【関連記事】
    残るは西日本のみ!国鉄近郊形電車「113系」を追う

     

    【117系が残る路線①】渋い濃緑色で走る湖西線・草津線の117系

    まずは117系が最も多く走る京都地区に注目してみよう。

     

    ◆車両の現状:京都地区に残る117系は“実質”52両のみに

    京都地区を走る117系はすべて吹田総合車両所京都支所に配置されている。その車両数は56両(2020年4月1日現在)、後に新在家派出所に配置されていた2両が加わり58両になっている。そのうち6両は観光列車「WEST EXPRESS銀河」に改造された車両なので、普通の117系は52両と見て良いだろう。

     

    その多くが300番台だ。300番台は福知山線用に改造された車両で、乗降時間をスムーズにするために、扉付近の転換クロスシートの一部をロングシートに変更していた。福知山線での運行が2000年で終了した後に京都地区へ移っている。

     

    京都地区を走る117系は、以前はクリーム色にブラウンの細帯の117系の原色カラーに塗られた編成もあったものの、その後に地域色の緑色一色に塗り改められている。京都に宇治という茶の産地があるせいか、鉄道ファンからは“抹茶色”とも言われるカラーだ。

    緑一色で走る京都地区の117系。同路線を走る113系に比べて重厚な印象に見える

     

    ◆運用の現状: 6両での運行が多いせいか朝夕の運用がメイン

    京都地区を走る117系湖西線の列車と、草津線の列車に使われている。湖西線の列車は京都駅永原駅間、草津線の列車は主に草津駅柘植駅(つげえき)間を走る。

     

    運用の傾向を見ると、どちらの路線も朝夕の運用が目立つ。これは両区間を走る113系とのかねあいがあるためだ。113系は4両編成で、利用者が少なくなる日中は113系が4両編成で走ることが多い。また113系の場合に朝夕は2編成を連ねた8両で走る運用が多くなる。対して、117系は6両編成がメイン(1編成のみ8両編成)のため、どうしても利用者が多くなる朝夕の運用が増えている。

    湖西線近江高島駅北小松駅間を走る上り列車。朝8時少し前に通る列車で、このあと30分後にも117系運用の上り列車が1本走る

     

    それぞれの路線の運用傾向を詳しく見ると。まず、湖西線京都駅発の下りが6時台〜9時台まで各一本ずつ、以降は14時台〜17時台まで1〜2本ずつ、あとは20時台に2本が走る。行先は近江舞子駅行、または近江今津駅行が目立つ。上りは下りのほぼ折り返し列車だ。

     

    一方の草津線では、113系の運用が多くなっていて、117系はこちらも朝晩の運行が多い。京都駅発(一部は草津駅発)、柘植駅行きは京都駅16時23分以降のみと極端で、22時台までに計5本が走る。117系で運行される列車は夜の柘植駅行きの戻りは翌朝で、柘植駅を早朝5時40分発と、7時42分発、日中はなく、17時以降、21時まで3本の京都駅行き、草津駅行き列車がある。こう見ると、草津線で陽がある時間帯に走る列車は、柘植駅発7時42分、京都駅9時2分着ぐらいに限られるわけだ。

     

    なお、これらの運用は、ダイヤ改正が行われる前日の3月12日までのものなので、ご注意いただきたい。

     

    【117系が残る路線②】岡山地区を走る黄色一色の117系

    ◆車両の現状:2扉の3000番台が主力となって走る

    瀬戸内海に面した山陽3県の中でも、岡山は国鉄近郊形電車がまだ主力として使われている。113系115系、さらに105系213系(後述)が中心だ。117系もその中では少なめながら岡山電車区に24両が配置されている。

     

    岡山電車区の117系は、基本番台が4両×3編成と、100番台が4両×3編成という内訳だ。ちなみに100番台は循環式汚物処理装置付きのトイレを持つタイプだったが、当初に配置された岡山電車区に、同処理装置への対応したシステムが無かった。そのため山口地区へ一度、移動されていた。その後に、トイレの汚物処理装置がカセット式に取り換えられ、岡山へ再び戻ってきている。

     

    塗装は「快速サンライナー」に利用されていたことから、2016年まで専用のサンライナー色で塗られていた。現在は全車が中国地域色の濃黄色に塗り替えられている。

    ↑岡山地区を走る117系は、全車が4両編成。2016年まではサンライナー色の117系も走っていた(右上)が、現在は全車が濃黄色一色だ

     

    ◆運用の現状: 今も「サンライナー」全列車に117系が使われる

    岡山地区の117系の運用を見てみよう。岡山地区の117系は主に山陽本線を走っている。運用範囲は岡山駅三原駅が多い。また赤穂線(あこうせん)にも乗り入れる。そのために、赤穂線に分岐する東岡山駅までは山陽本線を走る。すなわち山陽本線三原駅東岡山駅間の運用のみとなるわけだ。赤穂線内は、播州赤穂駅東岡山駅間で、その先の相生駅まで赤穂線を通り抜ける列車の運用はない。

     

    117系の運用は朝と夕方・晩が多い。早朝から10時台まで下り列車(三原駅方面)が4本、上り列車(岡山駅方面)が4時台から11時台まで7本が走る。日中の運用はない。その後の運用は15時台以降からで、ここでは下り、上りともに快速「サンライナー」の全列車に117系が使われている。岡山地区を走る「サンライナー」は岡山駅福山駅間を走る快速列車だ。ここで117系は、普通車自由席の列車ながら、優等列車として走っているわけだ。「サンライナー」は117系が唯一、輝きを見せる列車と言って良いだろう。

     

    ちなみに赤穂線での運用は朝晩のみで4往復が走る。東は播州赤穂駅まで走る列車が1往復あるものの、他は長船駅(おさふねえき)もしくは西大寺駅までしか走らない。赤穂線内の運用はごく希少となっている。

     

    117系の今後はどうなるのだろう

    前述したように、国鉄形電車の置換え計画がJR西日本からすでに発表されている。113系117系の約170両が新製車両に置換えとあり、その期限は2025年度とされている。

     

    どちらかに配置された113系117系が消滅する。まずは京都地区からと見るのが妥当だろう。吹田総合車両所京都支社には113系が64両、117系が58両(うち6両は「WEST EXPRESS銀河」)が配置され、両形式合わせて計122両となる。

    山陽本線山陰本線などユニークな運行方法で走る「WEST EXPRESS銀河」。117系改造車両を活かした臨時特別急行列車だ

     

    このうち「WEST EXPRESS銀河」に改造された117系だが、この編成は今後、かなりの期間、残ることになるだろう。計画では残り50両強が置き換えられるが、これはやはり岡山地区の113系117系になるかと思われる。117系で最後まで残るのは観光列車の「WEST EXPRESS銀河」のみとなるのだろうか。

     

    【すでに消えた形式】国鉄近郊形電車119系と121系

    ここではやや寄り道となるが、国鉄形近郊列車として活躍し、消えていった電車を抑えておきたい。117系よりも数字が上の電車には119系121系がある。両車両とも、消えたのが近年のことだった。

     

    ◆特殊な事情を持つ飯田線用に造られた119系

    ↑険しい飯田線を走っていた119系飯田線のみならず、中央本線の上諏訪駅へも乗り入れていた 2011年1月30日撮影

     

    飯田線愛知県豊橋駅長野県辰野駅を結び、距離は195.7kmにも及ぶ。険しい中部山岳を縫って越える山岳路線である。一方で、太平洋戦争前に複数の私鉄によって線路の敷設が行われた歴史を持つこともあり、駅間が短くなっている。

     

    同線には旧形国電が長く使われてきたが、老朽化が著しかった。飯田線は勾配があり、距離も長く、また駅間が短いという特殊な事情があり、専用の電車が必要とされた。そこで生まれたのが119系だった。1982(昭和57)年から1983年にかけて57両が新造されている。編成は2両もしくは1両と、閑散区向けの構成だった。119系飯田線導入後に新潟の越後線などへの導入を計画したが、計画は国鉄の財政悪化の影響もあり立ち消えている。

     

    正面の姿は中央に貫通扉があり、左右に窓がある105系デザインを踏襲したもの。3扉で外観も105系に近いものだった。当初は、路線が走る天竜川にちなみ水色ベースに淡い灰色の帯を巻いた。その後にJR東海の標準色のベージュ色にオレンジと緑色の2色の帯に変った。

     

    長年、飯田線の顔として走り続けたが、ちょうど生まれて30年後の2012年3月に引退となっている。廃車となった一部は、えちぜん鉄道に譲渡されて、MC7000形として走り続けている。

     

    ◆国鉄最晩年に登場した四国向け121系

    瀬戸内海を眺めつつ予讃線を走る121系。将来のJR四国の経営を考え、国鉄が最晩年に開発した近郊形電車だった 2017年7月15日撮影

     

    四国は電化工事が最も遅く行われた地域だ。1987(昭和62)年3月23日予讃線高松駅坂出駅間、多度津駅〜観音寺駅間が直流電化されたのが四国初の電化区間となった。瀬戸大橋が誕生し、橋を利用した瀬戸大橋線本四備讃線)が1988(昭和63)年春に開業の予定だった。そのタイミングに合わせて、四国の一部地域の電化が行われた。

     

    合わせて誕生したのが121系だった。電化された1987年3月23日デビューした近郊形電車で、わずか数日後の4月1日に四国の路線が国鉄からJR四国へ移管されている。121系は国鉄から、経営的な基盤が弱いと予想されたJR四国への最後の置き土産となったわけである。

     

    121系は2両×19編成、計38両が製造された。車体は軽量ステンレス製で、正面は貫通扉を持つものの205系常磐線用の207系にも近いスタイル。車体側面は3扉で211系(後述)と同様の姿をしている。いわば、国鉄晩年の標準的なスタイルを踏襲している。車体の帯は青色、もしくは赤色だった。

    121系全車が7200系としてリニューアル改造された。高松近郊区間には欠かせない近郊形電車となっている

     

    121系は長年にわたり走り続けてきたが、ちょうど生まれて30年を機会に2016年から大幅にリニューアル工事に着手。台車や客室の設備などを大幅に変更した。

     

    このリニューアルを機会に形式名も7200系と変更した。2019年2月にリニューアルが完了、元となった121系という形式名が消滅している。121系が劣化の少ないステンレス車体となり、リニューアル化後も走り続けていることは、国鉄の遺産が、JR四国の礎に多いに役立ったと言えるのではないだろうか。

     

    【残る国鉄近郊形電車①】今も大量に残る211系ながら

    ここからは残る国鉄時代に生まれた直流近郊形電車2形式を取り上げておこう。両形式とも、廃車された車両も少なめで、今も多くが走り続けている。とはいえ、後継車両が取りざたされる時代となってきた。

     

    ◆近郊形電車の代表として今も主力の211系

    東海道本線を走るJR東海211系。後ろに313系を連結して走る。JR東海211系は形式を問わず、運行できるように改造されている

     

    211系は国鉄の晩年となる1985(昭和60)年に誕生し、翌年の2月から走り始めた。大都市の近郊路線区間には、長年にわたり113系115系が走り続けてきた。1980年代となり、軽量ステンレス製の車体、ボルタレス台車、界磁添加励磁制御と呼ばれる制御方式が普及してきた。これらのシステムは当初、205系で採用されたシステムだったが、省エネにも結びつき、また使い勝手の良さから、211系という近郊形電車にも同様のシステムを取り入れたのだった。

     

    211系が最初に導入されたのが東海道線首都圏エリアで、1986年3月のダイヤ改正から走り始めている。後に名古屋地区、東北線などを走り出している。国鉄時代からJRになった後も製造が続き、基本番台、1000番台、2000番台、3000番台、5000番台、6000番台を含めて計827両が製造された。

     

    そのままJR東日本JR東海に引き継がれ、今もJR東日本326両、JR東海250両の計576両が残っている。今でこそ、首都圏では、東海道線など第一線を退いたものの、中央本線、高崎地区などのローカル線を走り続けている。車両数を見る限りはまだ盛況と言えるだろう。

     

    とはいえ、後期に造られた車両ですら、すでに30年たつこともあり、後継車両の導入も取りざたされるようになってきた。JR東海の新型315系がその置換え車両にあたる。今すぐに消えることはなさそうな211系だが、数年後からは徐々に消えていくことになるのだろう。

     

    【残る国鉄近郊形電車②】希少車のJR東海とJR西日本の213系

    ◆国鉄最後の新形式が213系だった

    国鉄が最後に設けた形式が近郊形電車の213系だった。導入は国鉄最終年の1987(昭和62)年3月と、それこそ国鉄製造の車両としてぎりぎりの期限に走り始めている。基本となったのは211系で、大きく異なるのは211系が3扉であるのに対して、213系は2扉となっているところである。すなわち、大都市の近郊路線区間で211系が走ったのに対して、ややローカル線区での運用を念頭においている。

     

    213系最初の基本番台は岡山地区へ導入された。今も3両×4本と、2両×7本の計26両が岡山電車区に配置され走り続けている。なお他に213系の2両1編成があり、こちらは観光列車「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」に改造され人気となっている。

    伯備線を走る2両編成の213系ステンレス車体に濃淡青色の帯を巻いて走る。ほか正面が真っ平らな切妻そのままの車両も走る

     

    JR西日本の岡山地区以外にも213系を導入されている。導入したのはJR東海で、同社では並走する近鉄名古屋線に対向するために、関西本線名古屋駅四日市駅間などに向けて導入した。こちらは5000番台とされるが、JRに移行後に導入されている。

     

    2両×14本の計28両が新造され、当初は関西本線での運用が続けられたが、今は大垣車両区に配置されているものの、やや車両基地から遠い飯田線を走り続けている。

    飯田線を走る213系。正面は211系とほぼ同じで、側面を見なければ213系と分からない

     

    今回で国鉄が作った近郊形電車の現状紹介は終了とする。次回以降は今も残る国鉄が生み出した交直流電車や特急形電車などの紹介に話を移していきたい。

    新快速として輝き放った国鉄近郊形電車「117系」を追う


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    なかなか見れない車両です。

    総武線 新小岩駅から蔵前橋通りを歩いて30分。新中川を渡る総武線の鉄道は、このあたりに2本ある。

    1本は、各駅停車や快速が走る総武線。もうひとつはこの画像↑↑↑ 総武線の支線、新小岩と常磐線 金町を結ぶことから新金線とか新金貨物線といわれている。

    画像と動画↓↓↓は2月27日東京都葛飾区奥戸6丁目付近の新中川河川敷からみえた風景。

    中川放水路橋梁を行く白い電車は、JR東日本 勝田車両センター所属 E491系 East i-E(イーストアイ イー)。

    East i-E は、新幹線ドクターイエロー在来線版ともいえるくるまで、JR東日本の電気・軌道総合検測車のひとつ。交流・直流の両区間を走ることができる。

    この日は常磐線や新金線を検測


    この日、E491系 East i-E は、尾久・上野から常磐線を検測、南流山などを経て金町から総武線支線 新金線に入り、新小岩へ。

    新小岩から折返して再び新金線を走り、松戸へとむかった。画像・動画は、金町から新小岩へと行くワンシーン

    この日のE491系3両編成は、中川放水路橋梁を通過するとき、前2つのパンタグラフを下げ、中間車 モヤE490-1 のシングルアームパンタグラフと、後部車両のクロスパンタをあげていた。

    ―――一日数本の定期貨物列車が走る総武線支線 新金線。この中川放水路橋梁には、動画でみえるように、もう1線ぶん線路が敷ける橋台が残っている。

    この先、金町方では、複線ぶんの線路スペースが残っている地平部分もある。総武線 新小岩と常磐線 金町の間を結ぶ新金線をたどって歩くと、両駅間は2時間ほど。

    East-i が架線金具良否をAI自動判別、2021年度から在来線に導入_インテグレート架線や線路設備モニタリング装置なども拡充
    https://tetsudo-ch.com/10987444.html

    JR東日本 East-i にAI自動判定システムを搭載、営業車両でモニタリングも検討
    https://tetsudo-ch.com/9881483.html



    (出典 news.nicovideo.jp)

    【新幹線ドクターイエローの在来線版、時刻表にない路線を行く】の続きを読む




    (出典 upload.wikimedia.org)


    数が少なくなってきている。

    〜〜希少な国鉄形電車の世界その7 東日本の「115系」〜〜

     

    113系115系が誕生してからすでに約60年の月日がたつ。いま残る車両も、すでに40年という歳月を走り続けてきた。国鉄形近郊電車として定番だったこれらの形式も引退の2文字が限りなく近づいてきた。今回は残る115系のうち、東日本に残るわずかな車両の現状に迫ってみよう。

     

    【はじめに】115系とはどのような電車だったのか?

    ◆寒冷地区向け、急勾配区間用に生まれた115系

    113系とほぼ同時期に115系は生まれた。1963(昭和38)年に登場し、国鉄末期の1983(昭和58)年まで、合計で1921両が造られている。

     

    主電動機は113系と同じく1時間定格出力120kW。113系と大きく異なるのは急勾配区間に対応したところで、上り勾配、下り勾配でそれぞれスムーズに加速、また減速できるように、制御器(上り勾配を一定速度で運転できるようにノッチ戻しの操作を可能にしたなど)、ブレーキ(抑速発電ブレーキ)などが強化されている。また当初、導入が検討された区間に上越線などが含まれていたことから、耐寒耐雪装備を備えた。

    ↑筆者が少年期に撮影した中央線115系。登場当時の115系は前照灯が今よりも大きかった 1972年ごろの国分寺駅付近

     

    115系は国鉄からJRとなる際にJR東日本JR東海JR西日本の3社に引き継がれた。すでにJR東海からは消え、JR東日本の車両もごくわずかとなった。大所帯として残るのは3社のうちJR西日本のみで中国地方で活躍している。国鉄形電車の消えていくペースは予想以上に早い。首都圏近郊で、ごくごく身近に走っていた115系も、ほんの数年のうちに消えてしまった。そんな消えた2つのエリア115系をまず振り返っておこう。

     

    中央東線では2015年11月群馬県内からは2018年3月に消滅

    東京都下、山梨県長野県と、広範囲に走る中央本線JR東日本の路線区域、中央東線では、約50年にわたり115系が走り続けてきた。2010年台の初めまでは、普通列車のほとんどが115系だった。鉄道車両を撮影する人たちにとって115系は、目標とする特急列車などがやって来るまでの間に、試しでシャッターを切る、というような対象の車両でもあった。

     

    ところが、2014年に後継となる211系(こちらも国鉄形近郊電車だが)が走り始めると、あっという間に115系の車両数が減っていった。そして2015年11月には横須賀色の115系中央東線から姿を消した。いわゆるスカ色(すかしょく)の車体カラーで親しまれていた115系が、JRの路線から消えたのである。

    中央東線の中長距離電車といえば115系だった。2014年から急速にその数を減らしていき2015年11月で運用終了 2015年3月15日撮影

     

    他に関東地方115系が多く活躍していたエリアと言えば群馬県内(栃木県の一部路線を含む)だった。元々、115系上越線用に投入されたのが始まりとあって、縁の深い路線でありエリアだった。上越線両毛線吾妻線信越本線横川駅まで)と、多くの線区で“主役”として走った。こちらは全車がオレンジと緑の湘南色の115系だった。配置されていた高崎車両センターにも後継の211系2016年ごろから徐々に投入されていく。

     

    群馬県内からの115系の引退は、中央東線に比べれば3年ほどあとになったが、2018年3月の春のダイヤ改正とともに消えていっている。2つのエリアでは、新型電車の投入ではなく、別路線を走っていた211系の転用ということもあり、置き換えのペースは予想以上に早かった。振り返ればあっという間の引退劇だった。

    上越線を走った湘南色の115系。山間に響いた独特のモーター音が今や懐かしく感じられる 2015年6月13日

     

    さてJR東日本に残る“最後の115系”たちは、どのような運命が待ち受けているのだろうか? ここからはわずかになったJR東日本115系と、JRから引き継ぎ、今も多くの115系が走る、しなの鉄道115系の現状を見ていくことにしよう。しなの鉄道でも徐々に、新型車の導入が進んでいる。

     

    【115系が残る路線①】新潟地区を残る七色の115系

    JR東日本に残る115系は21両のみとなっている。すべてが新潟車両センターに配置されている。全車3両で編成を組み、現在7編成が日々、新潟エリアを走り続けている。なお、JR東日本の高崎車両センタークモハ115が1両配置(2020年4月1日現在)されているが、こちらは運用がないので残る115系の車両総数から除外した。

     

    ◆車両の現状:7編成すべてが違う車体色で注目を浴びている

    信越本線でも115系の運用がわずか1本残る。写真は夕景の鯨波海岸だが、現在は朝に同地を通過する。同塗装は「三次新潟色」

     

    わずかに残る7編成21両の115系。すべての編成が色違いで、まさに七色の115系なのである。車体カラーは次のとおりだ。それぞれのカラーに名前が付いている。

     

    (1)N33編成「旧弥彦色」〜白地に黄色と朱赤の帯
    (2)N34編成「三次新潟色」〜濃淡のブルー塗装
    (3)N35編成「二次新潟色」〜濃淡の緑色の帯
    (4)N36編成「弥彦色」〜白地に窓周りが黄色、黄緑の帯という塗り分け
    (5)N37編成「一次新潟色」〜窓周りが青、窓下の白地に細い赤の帯
    (6)N38編成「湘南色」〜オレンジ色と緑色の塗り分け
    (7)N40編成「懐かしの新潟色」〜あずき色と黄色の塗り分け

     

    という具合である。2018年にはJR東日本の新潟支社が塗装の参考に、と一般へ好みのデザインを募集したところ、多くの案が集まるなど注目度が高い。利用者にも115系の車体カラーは注目され、七色の電車が人気となっているようだ。

    ↑関屋分水路を渡る越後線115系。写真の塗装は「一次新潟色」。後ろに「三次新潟色」の115系を連結して走る

     

    ↑水田が広がる中を走る越後線115系。同車体カラーは「弥彦色」と呼ばれる

     

    越後線吉田駅〜柏崎駅間をメインに今も多くが走る

    新潟エリア115系はどのような運用が行われているのだろうか。現在、115系の運用は新潟駅〜柏崎駅間を走る越後線が中心となっている。特に吉田駅〜柏崎駅間に使われる115系が多い。同区間には上り・下り列車がそれぞれ11本走るが(区間運転の列車も含め)、そのうち上り・下り7本が115系で運用される。とはいえ、日中は上り・下りとも2〜3時間にわたり列車がない時間帯があるかなりの“閑散区”で、115系が走る割合は多くとも、列車本数が少なく乗れない、出会えない現実がある。

     

    越後線以外では次のような傾向がある。弥彦線では、吉田駅東三条駅間の朝夕の列車に115系が使われる列車が多い。さらに新潟駅17時1分発→新井駅着(えちごトキめき鉄道19時43分着、新井駅20時13分発→直江津駅20時44分着。さらに翌朝に直江津駅発7時17分発→長岡駅8時20分着、長岡駅10時29分発→新潟駅11時29分着の列車に115系が使われる。信越本線を往復する115系列車が残っていたわけである。

    越後線を走る湘南色の115系越後線吉田駅〜柏崎駅間はトロリー線1本の直接ちょう架式の架線区間が多い(左上参照)

     

    えちごトキめき鉄道線へ乗り入れ列車が引退の鍵を握る?

    さて、新潟エリア115系はこの先、どのぐらいまで走るのだろう。2018年4月1日までは40両の115系が新潟車両センターに配置されていた。その翌年には現在の21両までに減っている。白新線などの115系が新型のE129系へ置き換えられたためである。新潟エリアE129系2018年4月1日時点で168両となっており、その後に増車はされていない。

     

    新潟エリアではここ数年、非電化区間を走るキハ40系GV-E400系気動車に置き換えることを優先していた。またE129系を製造した新潟市総合車両製作所新津事業所では、横須賀総武快速線用の新車E235系や、房総地区用のE131系の新造を進めている。この新造が一段落するまではE129系の新造はなさそうだ。

     

    さらに越後線115系が走る区間は超閑散区で、投資に応じた見返りが見込めないという一面もあるのだろう。架線設備など脆弱な難点もある。また新潟駅からえちごトキめき鉄道の新井駅へ乗り入れる快速普通列車が日に1便走っている。この列車に115系が使われている。E129系が、えちごトキめき鉄道への乗り入れに対応をしていないためとも言われ、この列車が残っていることも115系が残る一つの要因とされる。

     

    こうした取り巻く状況を見ると、まだ数年は新潟地区の115系は生き延びそうな気配が見えてくる。鉄道ファンの一人として、この予想が当れば良いのだが。

     

    【関連記事】
    東日本最後の115系の聖地「越後線」−−新潟を走るローカル線10の秘密

     

    【115系が残る路線②】しなの鉄道に残る115系に注目が集まる

    JR東日本に残る115系は21両のみとなっているが、JR東日本からの譲渡された115系が多く残るのが、しなの鉄道だ。JR“本家”ではないものの、こちらの115系も興味深い存在で“115系見たさ”に沿線を訪れるファンも多い。

     

    今でこそ第三セクター経営のしなの鉄道となっているが、ご存知のように、路線は旧信越本線である。しなの鉄道に移管される前から115系が走っていた。しなの鉄道となった後に譲渡された115系は元々長野・松本地区を走っていた車両である。同線では馴染みの深い電車だったわけだ。

     

    ◆車両の現状:最盛期には59両の115系が活躍していたが

    しなの鉄道では「しなの鉄道色」と呼ばれる車体カラー115系メインで走る。写真のS27編成は2021年3月をもって引退の予定

     

    しなの鉄道では59両の115系が在籍していた。とはいうものの2020年7月4日からは後継となるSR1系が走り始めている。そのため7月初頭にS6編成、S23編成の計5両が廃車となった。さらに新型車両SR1系(一般車)が2021年春から運行開始となる予定で、それに合わせてS25編成とS27編成の計4両が引退となる。

     

    これまでに引退、また今後に引退予定の編成を見ると、S6編成は1977(昭和52)年、S23編成とS27編成は1978(昭和53)年、S25編成は1981(昭和56)年にそれぞれ製造された。すでにどの編成も40年以上の車歴を持つ。最古参のS6編成は誕生してから2020年6月末時点までで、528万5195kmを走ったそうだ。これは地球を約132周走ったことと同じ距離になる。ご長寿車両は実に働きものだったわけである。

     

    しなの鉄道では、車両を引退させる時期をすべて明らかにし、さらに編成ごとにプロフィールを詳しく紹介している。同社の車両に対する“熱い思い”が窺えて、鉄道好きとしては非常に好感が持てる。それこそ華やかな“花道”を用意しているかのようでもある。

     

    115系おなじみの「懐かしの車体カラー」が人気に

    さて、しなの鉄道で注目の115系といえば、しなの鉄道色の定番車体カラーよりも、希少な「懐かしの車体カラーラッピング列車」と名付けられた115系たちであろう。しなの鉄道では、一部の編成を同線に縁が深い車体カラーに塗り替えて走らせている。

    ↑初代長野色の115系しなの鉄道は厳冬期ともなると、このように雪が付いた列車も走る。まさに115系の耐寒耐雪構造が活かされている

     

    懐かしの車体カラーラッピング列車は5種類ある。編成と車体カラーに触れておこう。

     

    ・湘南色:S3編成・S25編成(S25編成は2021年3月に引退予定)
    ・初代長野色(白地に黄緑色の配色、スソは茶色):S7編成
    ・台鉄色(黄色地にオレンジの配色):S9編成
    ・長野色(白地に水色):S15編成
    横須賀色(スカ色の愛称あり):S16編成・S26編成

     

    台鉄色以外は、旧信越本線や長野地区、松本地区と縁が深い車両カラーだ。ちなみ台鉄色は、「台湾鉄路管理局・自強号色」が正式名で、しなの鉄道台湾鉄路管理局と友好協定を結んだことにちなみ、走り始めた車両カラーだ。

     

    しなの鉄道の「懐かしの車体カラー」列車はどのような運用が行われているのだろうか。この発表の仕方こそ、しなの鉄道らしい。

    しなの鉄道の「懐かしの車体カラー」の代表的な塗装色。台鉄色以外は、古くから115系の塗装として馴染みの色となっている

     

    同社のホームページの「お知らせ」には「〈懐かしの車体カラーラッピング列車〉車両運用行路表」が発表されている。月々の運転予定が全日発表されていて、これを見れば、好みの電車がどのようなダイヤで走っているのかが良くわかる。各編成の運用予定表に加え、行路表と呼ばれるその日の列車番号、運行予定がPDF化され見ることができる。

     

    さらに、しなの鉄道らしいのは行路表の見方まで詳しく解説していることである。もちろんこれは鉄道ファン向けで、鉄道に少しでも親しんで欲しい、知って欲しいという思いが感じられる。こうした鉄道会社からの啓蒙姿勢は、真摯に写る。ファンにとっても歓迎すべき姿勢であろう。

     

    しなの鉄道115系の今後は?

    しなの鉄道では老朽化しつつある115系に代わる車両をどうするか、かなり苦慮したと伝わる。当初は他社からの譲渡車両で工面するという案も出たものの、新型車両を導入することのメリットを取った。

     

    115系などの古い車両に比べて、新型車両はエネルギー効率が高く115系に比べて消費電力量が約40%削減できるとされる。またメンテナンスに必要な人員が少なくなるなどメンテナンスコストを減らせるといった利点があった。ちなみに、しなの鉄道が導入したSR1系は新潟エリアを走るE129系と同形の車両で、製造も総合車両製作所新津事業所と同じだ。

    115系の置き換え用に造られたJR東日本E129系と、しなの鉄道SR1系は同形で、同じ工場で造られている

     

    しなの鉄道では2020年7月に新型SR1系を2両×3編成、計6両を導入した。このSR1系は、同社初の「有料快速」列車などに使われている。続けて2021年3月13日ダイヤ改正に合わせて、SR1系一般車の導入を行う。2020年に導入したSR1系とは車体カラーや車内設備が異なっているとされる。この春の導入は2両×4編成で計8両となる。これでしなの鉄道のSR1系は14両となり、全列車のうち約3割がSR1系に置き換わるとされる。

     

    さらに2022年度中にはSR1系は28両となることがすでに発表されている。最終的には、2027年3月期までは計46両となる予定だ。要はこの2027年春で、しなの鉄道115系は、多くが引退となりそうだ。ということはあと6年ほど。この時には、懐かしの車体カラー115系も、115系を利用した観光列車の「ろくもん」も消えて行くことになるのだろうか。または一部が残るのだろうか。ちょっと悲しいものの、これも時代の流れと言えるのかも知れない。

    残る車両はあとわずか—国鉄近郊形電車「115系」を追う【東日本編】


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    今はないですね。

    1 七波羅探題 ★ :2021/02/03(水) 08:24:22.55 ID:vw3rjGhK9.net

    のりものニュース2/3(水) 6:20配信/杉山淳一
    https://news.yahoo.co.jp/articles/b15b78862e9047ab2091373edffe5e2458cb2681

    スキー客向けの臨時列車はJR各社も2005(平成17)年まで「シュプール号」という名前で運行していました。「シュプール」という言葉は「スキーやそりの滑った跡」という意味です。青函トンネルと瀬戸大橋が開通したときの内容を収録した『時刻表完全復刻版』1988年3月号を開くと、次のような「シュプール号」が見つかります(注記がないものは、往路が夜行、復路が昼行)。

    ●首都圏発
    ・急行「シュプール白馬」千葉~信濃森上
    ・急行「シュプール信越」東京・新宿・上野~妙高高原、信越本線経由
    ・急行「シュプール上越」大船~小出
    ・急行「シュプール蔵王」横浜~山形
    ・急行「シュプールレインボー蔵王」上野~山形
    ・急行「シュプール猪苗代」上野~猪苗代
    ●名古屋発
    ・急行「シュプールユーロ赤倉」名古屋~妙高高原
    ・急行「シュプールつがいけ」名古屋~信濃森上
    ●京阪神発
    ・急行「シュプール’88(妙高・志賀)号」神戸~長野、北陸本線経由、復路も夜行
    ・急行「シュプール’88(白馬・栂池)号」西明石~南小谷・白馬、北陸本線経由、復路も夜行

    3月号の時刻表ですから、雪が残る地域も少ないはず。それでもこれだけの「シュプール号」が走っていました。このほか、後年には急行「シュプール草津・万座」(大船~万座・鹿沢口)、急行「シュプール野沢・苗場」(神戸→越後湯沢)、特急「シュプールサンダーバード」(西明石~黒姫)などがありました。

    シュプール号の列車種別は基本的に急行でした。当時は、同じ路線を「アルプス」「妙高」「きたぐに」といった夜行急行も走っていましたが、スキーシーズンの乗客増をシュプール号が引き受けていたのです。しかもシュプール号の車両はワンランク上の特急用車両が使われました。料金も宿泊施設を組み合わせて格安に設定したため、スキー愛好家にとっておトク感があり、大人気だったようです。

    座席列車でもスキーバスのような窮屈さはなく、渋滞もない。マイカーで慣れない雪道をドライブする必要もありません。ビールを飲んで一眠りして、目覚めれば雪国です。到着駅からスキー場に連絡するバスも用意されました。

    鉄道趣味的には使用車両が注目されました。特急用車両だけではなく、なかには団体列車などに使われるジョイフルトレインのキハ65系「エーデル」編成、キハ80系「リゾートライナー」、12系客車「ユーロライナー」、14系客車「スーパーエクスプレスレインボー」なども投入されました。希少な例ですが寝台車を使った列車もあり、583系電車と485系電車の混結編成という珍しい運用もありました。

    シュプール号誕生の背景は第3次スキーブームです。スキーブームは高度経済成長期以降、観光・レジャーが旺盛となった1960年代が第1次、札幌オリンピックが開催された1972(昭和47)年頃が第2次、そしてバブル経済期の1980年代後半が第3次にあたります。第3次ブームの象徴として、映画『私をスキーに連れてって』があります。この映画は1987年に公開されました。撮影は1986(昭和61)年のシーズンで、シュプール号の運行開始と一致します。

    第3次ブームは『私をスキーに連れてって』がきっかけと認知されています。しかし公開前からシュプール号の運行が始まっていましたから、ブームのきっかけはもう少し早かったと言えます。この時期はバブル経済だけではなく、完全週休二日制の普及とそれに伴うレジャー産業の発展がありました。

    並行してバブル経済においては、地方の安い土地にレジャー施設を投入し、付加価値を与えて集客し利益を上げるというビジネスモデルが旺盛でした。山林を切り開いて作られたゴルフ場やスキー場などです。そして空前のスキーブームとバブル景気は、千葉県船橋市に全天候型スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS」を誕生させたほどでした。

    1990年代初期にバブル景気は落ち着きます。しかし、今度は円高傾向で海外のスキー用品が安く手に入るようになり、おしゃれなグッズ、スキーウエアが流行しました。これはスキーブームを延命する効果がありました。

    一方、鉄道に目を戻すと1990(平成2)年に上越新幹線で直行できるガーラ湯沢スキー場(新潟県湯沢町)が開業。さらに1997(平成9)年には北陸新幹線(長野新幹線)が開通したこともあり、JR東日本は「新幹線でスキー」というプロモーションを始めました。

    このような時代背景と車両の老朽化もあって、シュプール号は次々と姿を消していきました。最後まで運行した会社はJR西日本でした(長文のため一部削除) 


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    国鉄車両。

    株式会社誠文堂新光社(東京都文京区)は、2021年2月17日(水)に、『国鉄色車両ガイドブック』を発売いたします。


     年々見る機会が減っていることもあり、鉄道ファンの間で人気が高い「国鉄色

     本書は、国鉄時代に活躍した名車たちを、塗装した色を切り口にまとめ直した一冊です。
     写真は鉄道写真の神様、広田尚敬氏。そして各分野で活躍している3人の鉄道ジャーナリスト各車両に解説をつけました。
     国鉄色という言葉は、主に鉄道ファンが生み出した言葉です。

     いくつかの定義があるようですが、基本的には国鉄が車体外部の塗装に使用した色を指します。
     国鉄時代の塗色は「国鉄車両関係色見本帳」によって明確に決められていました。国鉄が消滅して30年経った現在では、当時から継続して使用されている国鉄色ごくわずか

     そのため完全に消滅する色があればニュースになり、一方で復活する色があれば多くの人が集まるコンテンツになっています。鉄道ファンにとって、希少価値のある塗装注目すべき項目なのですが、今までこの情報を体系的にまとめた資料は多くありませんでした。
     本書では、1983年に発行された国鉄最後の「国鉄車両関係色見本帳」を基に、1950年代から1980年代まで塗装年代別に紹介しています(全ての塗色が掲載されているわけではありません)。

     そして特筆すべきは、国鉄色が数値化されていることでしょう。「国鉄車両関係色見本帳」には色の表示記号であるマンセル記載されています。その数値を元に、現在、コンピューターや印刷の世界で広く使われているRGBとCMYKで表現できるデータも参考値として併記されているのです。
     これは鉄道ファンならずとも、国鉄色の資料として持っておきたいガイドブックといえるでしょう。

     バラエティ豊か車両色彩を眺め、その色に込められたイメージ背景を語る記事を読んでいくと、国鉄時代を知らない世代もなぜか胸が熱くなります。
     
    昭和レトロな気分を満喫するにもぴったりな一冊です。


    【目次抜粋】
    1950年代の国鉄色
    湘南色/スカ色/青大将色/オレンジバーミリオン/特急色/ぶどう色/寝台客車色/一般気動車色/など
    1960年代の国鉄色
    カナリヤイエロー修学旅行色/急行形交直流電車色/うぐいす色/新幹線0系色/旧新潟色/など
    1970年代国鉄色
    初期新快速色/千代田線色/ニューブルートレイン色/50系色/など
    1980年代国鉄色
    185系色/瀬戸内色/飯田線色/常磐線色/キハ37形色/白樺色/旧北陸色/仙台色/長野色/烏山色/八高線色/など
    ・1940年代の国鉄色
    蒸気機関車色/旧型国電警戒色/関西急電色/など
    ・貨車
    貨車色/コンテナ色/特急コンテナ色/冷蔵車色/ガソリン石油類タンク車色/とび色/など
    そのほか・ジョイフルトレイン、無塗装車色など(巻末:国鉄色インデックス

    【著者プロフィール
    広田 尚敬(ひろた・なおたか)
    鉄道写真家。1935年東京生まれ。「鉄道写真の神様」として鉄道写真界を牽引。鉄道写真歴は半世紀を越え、30年のロングセラーシリーズのりものアルバム」(講談社)のほか、『永遠の蒸気機関車』(日本交通公社)、『動止フォトグラフ 国鉄主要車両編』(交友社)など多数。

    坂 正博(さか・まさひろ)
    鉄道編集者1949年兵庫県生まれ。実際の「鉄道」を目で見ることをモットーに取材する「ジェー・アールアール」の編集担当者として、日本全国をくまなく取材し、『JR電車編成表』などの年刊本・季刊本を手がけている。

    梅原 淳(うめはら・じゅん
    鉄道ジャーナリスト1965年東京生まれ。月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に独立。執筆活動を中心に、テレビラジオなどでの解説、講演など幅広く活躍中。主な著者に『最後の国鉄直流特急型電車』(JTBパブリッシング)など多数。 

    栗原 景(くりはら・かげり)
    1971年東京生まれ。国鉄時代を直接知る最後の世代で、旅、鉄道、韓国などをテーマとするジャーナリストとして活動。『東海道新幹線沿線の不思議と謎』(実業之日本社)、『アニメと鉄道ビジネス』(交通新聞社)など多数の著書がある。

    【書籍概要】
    書 名:国鉄色車両ガイドブック
    写 真:広田 尚敬
    著 者:坂 正博、梅原 淳、栗原 景
    仕 様:B6横判、224
    定 価:本体2,700円+税
    配本日:2021年2月17日(水)
    ISBN:978-4-416-62024-3

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    株式会社 誠文堂新光社
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