ハヤブサ24

九州出身の鉄道ファンです。
現在は関東に在住しています。このブログは主に鉄道系のニュースなどを投稿したり、時々、鉄道で旅したときの日記なども投稿します。 鉄道以外の乗り物も投稿することもたまにはあります。

    カテゴリ: 甲信越地方の鉄道




    (出典 c5557.photoland-aris.com)


    インスタ映えしたいです。


    ジブリのような世界観・・・誰もが憧れる世界ですし、現実にそのような光景を目の当たりにすると言葉では言い表せない感動を覚えますよね。

    今回話題となっているのは、まるでジブリの世界を彷彿とさせる秋の光景トロッコ列車と紅葉のコラボなど、思わず息を呑んでしまう光景は必見です!

    そこには、ジブリのような秋があった

    投稿されたのは、青春と思い出テーマに素敵な写真を多数投稿されているtomosaki(@photono_gen)さん。まるでジブリの世界を彷彿とさせる秋の光景を投稿しています。



    (出典 news.nicovideo.jp)

    【まるでジブリの世界を彷彿とさせる秋の光景が話題に!トロッコ列車と紅葉のコラボも必見!】の続きを読む


    白新線(はくしんせん)は、新潟県新潟市中央区の新潟駅から新潟県新発田市の新発田駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。 管轄(事業種別)・区間(営業キロ) 東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者) 新潟駅 - 新発田駅 27.3km(新潟駅 - 上沼垂信号場間(1
    25キロバイト (2,823 語) - 2020年9月21日 (月) 05:09



    (出典 tabinori.net)


    歴史がある。

    おもしろローカル線の旅68 〜〜JR東日本白新線新潟県)〜〜

     

    新潟駅と新発田駅を結ぶ白新線はくしんせん)。特急列車に観光列車、貨物列車が走る賑やかな路線である。これまでは車両を撮りに訪れた路線であったが、今回は複数の途中駅で降りて、駅周辺をじっくりと歩いてみた

     

    すると、これまで気付かなかった同線の新たな魅力が見えてきたのだった。白新線でそんな再発見の旅を楽しんだ。

    *取材撮影日:2018年3月3日、2019年7月6日、2020年10月18日ほか

     

    【関連記事】
    東日本最後の115系の聖地「越後線」−−新潟を走るローカル線10の秘密

     

    【白新線の謎①】なぜ路線名が白新線なのだろう?

    初めに白新線の概要を見ておきたい。

    路線と距離 JR東日本白新線新潟駅〜新発田駅(しばたえき)27.3km
    *複線(新潟駅〜新崎駅間)および単線・1500V直流電化
    開業 1952(昭和27)年12月23日日本国有鉄道により葛塚駅(くずつかえき/現・豊栄駅)〜新発田駅間が開業、1956(昭和31)年4月15日、沼垂駅(ぬったりえき/現在は廃駅)まで延伸開業
    駅数 10駅(起終点駅を含む)

     

    まずは、この路線の最大の謎から。路線名はなぜ白新線と付けられているのか、白新線の「白」はどこから来たのか、そこから見ていこう。

     

    まず、路線計画が立てられたところに、白新線と名付けられた理由がある。路線の計画が立てられたのは1927(昭和2)年のこと。「新潟県白山ヨリ新発田二至ル鉄道」という路線案が立てられた。白山と新発田を結ぶ路線なので白新線となったのである。

     

    白山とは、現在の越後線白山駅のことだ。計画が立てられた年は、ちょうど柏崎駅と白山駅を結ぶ越後鉄道が、国有化されて越後線となった年である。国は、越後線の新潟方面の終点駅だった白山駅と、新発田駅を結ぶ路線の計画を立てたのだった。

     

    だが、そこに立ちはだかるものがあった。新潟市を流れる信濃川である。信濃川日本一の長さを誇る河川であり、当時の河口部は川幅も広く、水量も豊富だった。鉄道にとって越すに越されぬ信濃川だったわけである。

    ↑昭和初期と現代の信濃川の流れを比べると、昭和初期の信濃川は現在の3倍近くの川幅があった。旧信越本線ルートも今と異なっていた

     

    1929(昭和4)年に大河津分水(おおこうづぶんすい)という信濃川の水を途中で日本海へ流す流路が作られ、新潟市内を流れる信濃川の水量が大幅に減った。その後、川の南岸が主に改修され川幅が狭まり、ようやく越後線信濃川りょうを架けることが可能となった。とはいえ越後線の路線が新潟駅まで延ばされ旅客営業が始まったのは1951(昭和26)年のこと。この年、ようやく信濃川りょうを生かして、新潟駅と関屋駅(白山駅の隣の駅)間に列車が走ったのだった。

     

    とはいえ白新線は、まだ開業していない。白新線の開業を困難にしていたのも大河の存在だった。

    新潟駅からは信濃川りょうを渡った最初の駅が越後線白山駅(左上)だ。白新線白山駅と新発田駅を結ぶ予定で計画が立てられた

     

    【白新線の謎②】開業してから60年と意外に新しい理由は?

    越後線がようやく新潟駅まで開業した翌年の1952(昭和27)年の暮れ、白新線の葛塚駅(現・豊栄駅)と新発田駅の間が開業している。新潟駅側からではなく、新発田駅側から路線が敷設されていったわけである。白新線の残り区間、葛塚駅〜新潟駅間、正式には沼垂(ぬったり)駅〜葛塚駅間が開業したのは4年後の1956(昭和31)年4月15日のことだった。

     

    新潟市新潟県の北部や庄内地方、秋田への幹線ルートの1部を担う路線だけに、この開業年の遅さは不思議にも感じる。そこには鉄道の敷設を妨げる大きな壁があった。

    白新線のなかでひと足早く開業した葛塚駅(現・豊栄駅)。南口駅前には路線開業を祝う碑や当時のことを伝える案内などがある

     

    新潟平野には信濃川とともに大河が流れ込む。阿賀野川(あがのがわ)である。阿賀野川は、群馬県福島県の県境を水源にした一級河川。途中、只見川などの流れが合流し、河川水流量は日本最大級を誇る。実際、新潟市内を流れる河畔に立ってみるとその川の太さ、河畔の広さにびっくりさせられる。この水量の豊かさから、古来、水運が盛んで、鉄道が開業するまでは会津地方の産品はこの川を使い運ばれていた。

     

    そんな阿賀野川が鉄道を敷設する上で難敵となった。阿賀野川を越える鉄道路線としては羽越本線(当時は信越線)の阿賀野川橋りょうの歴史が古い。1912(大正元)年、新津駅〜新発田駅間が開業に合わせて設けられた。全長1229mという長さがあり、当時としては全国最長の橋となった。現在の白新線の橋りょうよりも上流にあるにもかかわらずである。

     

    架橋技術が今ほどに進んでいない時代、大変な工事だったに違いない。国鉄(当時は鉄道省)は下流に白新線の2本目の橋を架けることはためらったようだ。とはいえ、1940(昭和15)年には橋の着工を進めていた。ところが、翌年に太平洋戦争に突入したこともあり、資材不足となり、橋脚ができたところで、建設中止に追い込まれている。

    ↑長さ1200mと、在来線ではかなりの長さを持つ白新線阿賀野川橋りょう。河畔が広く川の流れはかなり先へ行かないと見えない(右上)

     

    阿賀野川橋りょうの建設が再開したのは大戦の痛手からようやく立ち直り始めた1953(昭和28)年のこと。橋脚がすでに造られていたので、翌年には架橋工事が完了している。戦前に無理して進めていた工事が、後に役立ったわけである。そうして白新線の全線が1956(昭和31)年に完成にこぎつけた。当初、単線で造られた阿賀野川橋りょうだが、1979(昭和54)年には複線化も完了している。

     

    【白新線の謎③】走る車両はここ5年ですっかり変ってしまった

    本章では走る車両に注目したい。走る車両に謎はないものの、実は5年前と、今とでは、ことごとく走る車両が異なっている。複数の車両形式が走る線区で、ここまで徹底して車両が変わる線区も珍しいのではないだろうか。写真を中心に見ていただきたい。まずはここ最近まで走っていて、撤退した車両から。

     

    ◆白新線から撤退した車両

    485系〜 
    国鉄が1968(昭和43)年から製造した交流直流両用特急形電車。交流50Hz、60Hz区間を通して走れ便利なため、全国で多くが使われた。白新線では特急「いなほ」として、また改造され快速「きらきらうえつ」として使われた。「いなほ」の定期運用は2014年7月まで、翌年に臨時列車の運行も終了している。快速「きらきらうえつ」は2019年12月までと、ごく最近までその姿を見ることができた。

     

    115系
    国鉄当時に生まれた近郊用直流電車で、JR東日本管内では近年まで群馬地区、中央本線なども走った。現在、越後線など新潟エリアに少数が残るのみとなっている。白新線からは2018年3月の春のダイヤ改正日に撤退している。

     

    EF81形式交直流電気機関車
    かつては日本海縦貫線の主力機関車として活躍した。ローズピンクの色で親しまれたが2016年3月のダイヤ改正以降は定期運用が無くなり、富山機関区への配置も1両のみとなっていて、運用が消滅している。

    ↑少し前まで白新線を走った車両たち。すべて国鉄形で115系越後線で、またEF81は九州で姿を見かけるのみとなっている

     

    ◆白新線を走る現役車両

    次に現役の車両を見ていくことにしよう。

     

    E653系〜 
    特急「いなほ」として運用される交流直流両用特急形電車。以前は常磐線の「フレッシュひたち」として走っていたが、2013(平成25)年に定期運用を終了。転用工事が行われた上で、同年から「いなほ」として走り始めた。2014年7月から「いなほ」の定期列車すべてがE653系となっている。

     

    E129系〜 
    新潟地区専用の直流電車で、座席はセミクロスシートロングシートが車内半分を占めていて、混雑時にも対応しやすい座席配置となっている。

     

    白新線のほぼすべての普通列車がこの形式で、2〜6両と時間に合わせ編成数も調整されている。白新線では新潟駅〜豊栄駅間の短区間を運転する列車が多いが、そのほか、北は羽越本線村上駅まで、西は越後線吉田駅、内野駅、また信越本線新津駅などに乗り入れる列車も多く走る。

     

    キハ110系〜 
    白新線では米坂線米沢駅への直通列車、快速「べにばな」として運行。新潟発8時40分、戻りは新潟駅21時25分着で走る。

    ↑現在、白新線を走る旅客用車両3タイプと貨物用機関車白新線を走り抜ける貨物列車はすべてEF510形式が牽引している

     

    現在、走る車両はみなJR発足後の車両だけに鉄道ファンとしては物足りないかも知れない。とはいうものの希少車両も走っている。希少な車両ならば、やはり見たい、乗りたいという人も多いことだろう。白新線の希少車両といえば、まずはE653系特急「いなほ」の塗装変更車両だろう。U106編成が海の色をイメージした「瑠璃色」に、U107編成は日本海の海岸で自生するハマナスの花をイメージした「ハマナス色」に塗られている。ともに青空の下では栄えるカラーとあって、この車両の通過に合わせてカメラを構える人も目立つ。

    E653系いなほ」のハマナス色編成が名物撮影地、佐々木駅〜黒山駅間を走る。右上は瑠璃色編成

     

    ほか希少車両を使った列車といえば、主に週末に走る臨時快速列車「海里(KAIRI)」。HB-E300系気動車が使った観光列車で2019年10月に登場した。下り列車は新潟駅10時12分発と、白新線内では早い時間帯に通過する。ほとんどの運行日が酒田駅行きだが、秋田駅まで走る日もある。上りは酒田駅15時発、新潟駅18時31分着。上越新幹線に乗継ぎもしやすい時間帯に走っていることが、この列車の一つの魅力となっている。

    ハイブリッド気動車を利用した観光列車「海里」。4両編成で車内では地元の食材を使った食事も楽しめる(食事は要予約)

     

    【白新線の謎④】変貌する新潟駅。そして万代口は……

    さて、前置きが長くなったが白新線の旅を進めよう。起点は新潟駅。いま新潟駅は大きく変ろうとしている。筆者はほぼ半年ごとに新潟駅を訪れているが、毎回、変化しているので面食らってしまう。

     

    大きく代わっているのは、在来線ホームの高架化が進んでいること。上越新幹線ホームと同じ高さとなり、同一ホームで、特急「いなほ」との乗換えができるようになり便利になっている。ほか在来線ホームも徐々に高架化され、地上に残る線路もあとわずかとなっている。

     

    一方で、新潟の玄関口ともなっていた、北側の万代口(ばんだいぐち)が大きく変っている。信濃川に架かる萬代橋側にあることにちなみ名前が付けられたこともあり、新潟を象徴する駅舎でもあった。10月9日からは移転して仮万代口改札となった。これから旧駅舎は取り壊されることになる。

     

    予定では今後、鉄道線の高架化が終えた2023年には駅下に新潟駅改札口が集約される予定。また高架橋下には、バスステーションが作られ、万代口と南口の別々に発着していたバスも駅下からの発着となる。とともに万代口は万代広場、南口には南口広場が整備され、万代口という愛着のある名称は消えていく。長年、親しまれてきた名称だけに、ちょっと寂しい気持ちにもなる。

    ↑1958(昭和33)年に現在の場所に移転した新潟駅。万代口駅舎は2020年秋から撤去工事が始められている 2019年7月6日撮影

     

    さて寄り道してしまったが、白新線の列車に乗りこもう。E129系電車の運用が大半の白新線だが、この日はキハ110系で運行される8時40分発の快速「べにばな」に乗車する。新潟地区ではキハ40系はすでに引退、磐越西線気動車も電気式気動車のGV-E400系が多くなってきたこともあり、新潟駅では通常の気動車を見かけることが少なくなってきた。

     

    そんなキハ110系の車内は、座席が5割程度うまるぐらい。ディーゼルエンジン音をBGMに高架駅を軽やかに出発した。

     

    【白新線の謎⑤】上沼垂信号場から白新線の路線が始まるのだが

    左下に残る地上線を見ながら高架線を走るキハ110系。しばらくすると地上へ、右へ大きくカーブして上越新幹線の高架橋(同路線は新潟新幹線車両センターへ向かう)をくぐると、いくつかの線路が合流、また分岐する。ここが上沼垂(かみぬったり)信号場だ。正確には、ここまでは信越本線白新線重複区間で、ここから分岐して“純粋な”白新線の線路へ入っていく。

     

    この信号場、合流、分岐が忙しく続き、鉄道好きにはわくわくするようなポイントだ。新潟方面から乗車すると、まず右にカーブした路線に、左から築堤が近づいてくる。草が茂り、いかにも廃線跡のようだ。ここは旧信越本線の路線跡で、かつての旧新潟駅へは、この路線上を列車が走っていた。途中、旧沼垂駅の先に引込線跡も残るなど、廃線の跡を、今もかなりの場所で確認することができる。

     

    その次に合流するのが信越貨物支線の線路。焼島駅(やけじまえき)という貨物駅まで向かう貨物専用線だ。現在は新潟貨物ターミナル経由で、東京の隅田川駅行の貨物列車が1日1便、焼島駅から出発している。ちなみにこの路線の牽引機は愛知機関区に配置されたDD200形式ディーゼル機関車となっている。

    ↑新潟方面(手前)から見た上沼垂信号場。列車はここから分岐をわたり白新線へ入る。左手の線路が信越貨物支線、左の高架は上越新幹線

     

    列車は左へポイントをわたり、白新線へ入る。しばらく信越本線と並走するが、より左へカーブすると、いよいよ白新線独自の路線へ。その先、合流、分岐は続き、鉄道好きとしては気を抜けないところだ。進行方向右手、信越本線の線路が徐々に離れていくが、信越本線の線路との間に新潟車両センターがある。E653系の「いなほ」「しらゆき」、そしてE129系が多く停まっている。

     

    さらに走ると、右手から白新線の線路に近づき、またぐ線路が1本ある。こちらは信越本線から新潟貨物ターミナル駅へ入る貨物列車用の線路となる。というように、目まぐるしく線路が合流、分岐、交差をくりかえして、次の東新潟駅へ向かう。

     

    【白新線の謎⑥】東新潟駅ではやはり進行方向左手が気になります

    さて白新線の最初の駅、東新潟駅。進行方向左手には側線が多く設けられ、貨物列車が停められている。さてここは?

     

    こちらはJR貨物の新潟貨物ターミナル駅日本海側では最大級の大きさを誇る貨物駅だ。車窓から見ても見渡す限り、貨物駅が広がる。貨物列車好きならば、東新潟駅の下りホームは、それこそ貨物列車の行き来が手に取るように見える、至福のポイントと言えそうだ。

     

    さらに東新潟駅の先には、機関庫があり、日本海縦貫線の主力機関車EF510の赤や青の車両が休んでいる様子が望める。

    白新線の線路の北側には新潟貨物ターミナル駅が広がる。線路沿いよりもむしろ眺めが良いのは東新潟駅の下りホームからだ

     

    【白新線の謎⑦】大形駅の先、並行する築堤は果たして?

    新潟貨物ターミナル駅の広がっていた線路が再び集まり、白新線に合流すると間もなく次の大形駅(おおがたえき)に到着する。この先は、また進行方向の左側に注目したい。走り出して間もなく線路と並行して、築堤が連なる。さてこの築堤は何だろう、もしかして

     

    いかにも前に線路が敷かれていたらしき築堤である。実際に下車して確認すると白新線公園という名前の公園となっており、築堤の上は遊歩道と整備されていた。スロープまで設けられ、整備状況が素晴らしい。ここは旧線跡を利用した公園で、阿賀野川河畔まで連なっている。

    ↑大形駅から新崎駅方面へ歩くと、路線に並行して旧線を利用した公園がある。同公園は阿賀野川河畔近くまで整備、小さな橋も残る

     

    この旧線は、白新線が開通した当初に使われていた、阿賀野川橋りょうまで連なる線路跡で、現在の路線は、複線化するにあたって線路を南側にずらして敷かれたものだった。その旧線跡をきれいに公園化しているわけである。

     

    ただし、この堤、阿賀野川に最も近づく築堤の先は、手すりに囲まれ、そこから下へ降りることができないという不思議な造りだった。この造りに疑問符が付いたものの、廃線となり草が茂り寂しい状態になるよりも、こうした再利用されていることは大歓迎したい。

     

    そして阿賀野川の堤防に登ると、そこから広がる河畔が望める。河原は阿賀野川河川公園として整備され、市民の憩いの広場として活かされていた。

     

    【白新線の謎⑧】黒山駅から延びる引込線は何線だろう?

    大形駅へ戻り、白新線の旅を続ける。水量豊富な阿賀野川を渡り、次の新崎駅(にいざきえき)へ。新崎駅の先からは単線となり、次第に田園風景が広がるようになる。米どころ新潟ならではの光景だ。早通駅(はやどおりえき)、豊栄駅(とよさかえき)と、駅からかなり遠くまで住宅地が広がっている。豊栄駅までは、列車の本数も多いため、新潟市の中心部へ通うのにも便利ということもあり、住宅地化されているのだろう。

     

    豊栄駅から先は朝夕を除き、列車本数が1時間に1本という閑散区間に入る。列車本数に合わせるかのように、住宅も減っていき、一方で水田が多く広がるようになる。そして次の黒山駅へ着く。この駅、構造がなかなか興味深い。

    ↑黒山駅の構内を望む。白新線の線路・ホームの横に側線があるが、この側線の先、藤寄駅まで新潟東港専用線が延びている

     

    下りホームに沿って側線が何本か並行に敷かれている。側線があるものの、貨車は停まっていない。単に線路があるのみ。気になったので下車してみた。ぐるりと北側へまわってみると、白新線から離れ、1本の引込線が延びている。さてこの路線は?

     

    黒山駅分岐新潟東港専用線という名称が付いた路線で、藤寄駅(ふじよせえき/聖籠町)まで2.5kmほど延びている。新潟東港の開港に合わせて造られた路線で、開業は1969(昭和44)年のこと。路線の開業とともに新潟臨海鉄道株式会社が創設された。しかし、大口の顧客だった新潟鐵工所が経営破綻したことなどの理由もあり、2002(平成14)年に新潟臨海鉄道は解散となってしまう。

     

    その後は、路線の短縮を経て、現在は新潟県が所有する路線となり、JR貨物が運行を行う。列車は、新潟鐵工所の鉄道車両部門などを引き継いだ新潟トランシスが製造した新車、および、新潟東港から海外へ譲渡される車両の輸送などが主体となっている。

    ↑黒山駅近くの黒山踏切には踏切の両側に簡易柵が設けられていた。踏切の案内には「新潟東港鉄道」の文字が記されている(右上)

     

    列車が運行するのは稀なため沿線の踏切には簡易柵が設けられ路線に進入できないようになっていた。線路は雑草に覆われる様子もなく、いつでも列車が走れるように保持されていた。ちなみに白新線を走る観光列車の「海里」が誕生した時にも、新潟トランシス製ということもあり、同線を走って白新線へ入線している。

     

    列車運行が珍しく、しかもその運転日は明かされないこともあり、同線を走る列車を出会うことは、至難の業となっているようだ。

     

    【白新線の謎⑨】黒山駅の裏手にある「黒山駅」の表示はさて?

    黒山駅の周辺をぐるりと回っていて、ちょっと不思議な光景に出くわす。駅の裏手の道沿いから駅側を望むと、小さな建物に「黒山駅」の表示が。“あれ〜、ここから駅へ行けるのだろうか?”。

    ↑黒山駅の北側にある謎(?)の「黒山駅」の表示。裏手を通る道沿いの建物にある駅案内で、知らないと間違えて入っていきそうだ

     

    この表示、JR貨物の黒山駅を表す表示で、JR東日本の黒山駅を示すものではない。したがって、この表示の場所から駅ホームへ入ることはできない。知らないと、間違えてしまいそうだが、もちろんこの地区に住む人は皆が知っていることでもあるし、また駅の北側に民家がないため問題にならないのだろう。都会だったらとても考えられない駅の表示だと感じた。

     

    【白新線の謎⑩】撮り鉄の“聖地”佐々木駅を再訪する

    黒山駅の次は佐々木駅だ。この付近になると駅間も広がり、豊栄駅〜黒山駅〜佐々木駅それぞれの駅間は3kmと距離が離れる。なお黒山駅までは新潟市内、次の駅の佐々木駅は新発田市内の駅となる。

     

    この佐々木駅。鉄道ファンの中には同駅で降りた人も多いのではないだろうか。駅から徒歩で10分ほどの稲荷踏切。この踏切から太田川まで白新線の線路が大きくカーブ、水田よりもやや高い位置を走るため、全編成が車輪まで見える非常に“抜け”の良い場所となる。架線柱も片側だけに立ち撮影の邪魔にならない。さらにアウトカーブ、インカーブ、両方が撮影できるとあって、白新線ナンバーワンの人気撮影地となっている。

    ↑稲荷踏切から貨物列車を撮る。写真の851列車は2018年3月で廃止。現在、白新線を日中に走る貨物列車が少ないのがとても残念だ

     

    筆者も2年ぶりに訪れてみた。以前は115系が撤退間際ということもあり、多くのファンが集まっていた。が、2年後は……。それでも私以外に2名の撮影者が訪れ構図作りに興じていた。この場所は、自分の好きなポイントで構図作りができることも人気の理由だろう。

     

    このポイントは、気兼ねせずに撮影ができる。手前には刈り取りが終わった水田、周りも見渡す限り水田が広がる。水田越しに飯豊連峰・朝日連峰などの山々が遠望でき、気持ちの良い撮影時間となった。

     

    【白新線の謎⑪】終点・新発田駅で駅近辺を歩いてみたら……

    佐々木駅に戻り、終点の新発田駅を目指す。列車の時刻はちょうど1時間おきなので、予定作りもしやすい。佐々木駅の次の駅は西新発田駅。この駅は駅前にショッピングモールがあり、乗り降りする人が多い。黒山駅や佐々木駅と比べると、同じ路線の駅なのだろうかと思うほどだ。

     

    西新発田駅と過ぎて、しばらく走ると、右から1本の線路が近づいてくる。この線路が羽越本線で、同線が近づいてくると、新発田駅がもうすぐであることが分かる。新潟駅から普通列車に乗車すると約40分で新発田駅に到着する。

     

    新発田駅は西側の正面口しか無いが、久々下車してみると駅の形が大きく変っていることに気付いた。調べると2014(平成26)年の11月に現在の姿にリニューアル。城下町のイメージをした、なまこ壁の駅舎に改良工事をされていた。

    なまこ壁の装いをほどこした現在の新発田駅。右上は2014年までの新発田駅の旧駅舎

     

    さて、新発田駅では戻る列車まで時間があるので、駅の周辺を歩いて回った。駅の東口へ、地下通路を通って向かう。そして北側へ。

     

    地図で事前に見てみると、駅の北から東へと、非常にきれいにカーブした道路があって、気になったのである。このカーブは何の跡なのだろう。

    ↑新発田駅近く、現在は公道として使われる赤谷線の廃線跡。この先で大きくカーブして赤谷へ向かう。なお今は赤谷行きバスが出ている(左下)

     

    新発田駅からはかつて、赤谷線という支線が出ていた。路線距離は18.9kmと長めの支線だった。カーブした道はこの赤谷線の跡だった。

     

    赤谷(新発田市赤谷)へはかつて鉄鉱石輸送用の専用線が敷かれていた。その路線を活かして1925(大正14)年に開業したのが赤谷線だった。白新線よりも、かなり前に開業していたわけだ。新発田駅から途中駅が5駅。終点の東赤谷駅の手前にはスイッチバックがあり、列車はスイッチバックをした上で、駅に入線していた。

     

    駅の手前に33.3パーミルという急勾配があったためとされる。調べてみると東赤谷駅の蒸気機関車用の転車台は現在、大井川鐵道の千頭駅(せんずえき)に移設され役立てられていた。

     

    赤谷線は1984(昭和59)年に全線が廃止されたが、以前に同線で使われていた施設が、その後に別の場所で活かされていたと聞いてうれしくなった。今となっては適わぬ夢ながら、一度、乗ってみたかったローカル線である。

    ↑新発田駅の東側にあるセメント工場には、今は使われていない引込線の線路がそのままの状態で残されていた

     

    赤谷線の廃線跡を探したものの勝手が分からず駅の東側から遠回りをしてしまった。だが、思わぬ発見も。駅の東側に今や使われない線路が延びていた。錆びついた線路が残り、終端にはレトロな線路止めも。セメント工場への引込線跡だった。今もセメント会社は稼動していたが、羽越本線からは線路はすでに途切れていて、引込線は機能していなかった。

     

    地方を訪ねると、こうした引込線の跡が残るところがある。新発田駅のように、県の中心、新潟駅から40分の距離の駅近くにも、こうした使われない線路が残されている。今回の白新線の旅では、光と陰の部分を見たようで、ちょっと複雑な気持ちにさせられた。

     

    なお筆者が訪れた日に、新発田市内の観光施設で熊の出没騒ぎがあった。羽越本線の月岡駅から1kmほどのところ、白新線の黒山駅へも6kmほどの距離にあたる。この秋は、熊の出没が多く取りざた沙汰されている。民家が多い場所にも出てきている。甲信越や、東北、北陸地方などで沿線を歩く時には、熊鈴などの防御グッズを必ず携行して出かけることをお勧めしたい。

    「白新線」‐‐11の謎を乗って歩いてひも解く


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 cdn3.railf.jp)


    見所があります。

    おもしろローカル線の旅67 〜〜アルピコ交通上高地線長野県)〜〜

     

    ローカル線は何度たずねても新たな発見があって楽しいもの。長野県松本市を走る「アルピコ交通上高地線」。山景色が美しい路線を訪ねてみた。改めて乗って、いくつかの駅で下りてみたら……。数年前と異なる再発見が数多く出現! 新鮮で楽しい旅となった。

    *取材撮影日:2017年7月8日、2018年7月15日、2020年9月27日ほか

     

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    【上高地線で再発見①】開業時は筑摩電鉄。さて筑摩という地名は?

    ↑新村駅の駅舎に掲げられた創業当時の社名と社章。いま見るとレトロ感満点のなかなか貫録ある社章だった

     

    初めに、上高地線の概要を見ておきたい。

    路線と距離 アルピコ交通上高地線松本駅〜新島々駅14.4km
    *全線単線・1500V直流電化
    開業 1921(大正10)年10月2日、筑摩鉄道により松本駅〜新村駅間が開業、翌年に島々駅まで延伸
    駅数 14駅(起終点駅を含む)

     

    上高地線は筑摩鉄道という鉄道会社により路線が敷かれた。筑摩という地名は、地元の方には馴染み深いのだろうが、筆者は今回、訪ねるまで知らなかった。路線の新村駅の駅舎の横に案内があり、筑摩電鉄(1922年に筑摩鉄道から筑摩電気鉄道に社名を変更した)の名前とともに社章が案内されていた。駅横の案内としては、やや唐突に思われたが、アルピコ交通の実直さが感じられるような案内だった。

     

    それにしても「筑摩」という地名。調べてみると長野県の中信地方、南信地方、岐阜県の飛騨地方を広く「筑摩」と呼ばれた。明治の始めには「筑摩県」があり、さらに長野県には「筑摩郡」という郡が明治10年前後にあった。さらに上高地線が走る松本盆地の梓川が流れる南側を「筑摩野」と呼ばれている。

    ↑東京日日新聞の1928(昭和3)年発行の「全国鐵道地圖」には「筑摩電気」の名が見られる。すでに浅間温泉まで路線が延びていた

     

    筑摩鉄道という鉄道名は、当時としては、ごく当然のように付けられた社名だったようである。この筑摩鉄道→筑摩電気鉄道(筑摩電鉄もしくは筑摩電気)という名前が10年ほど続き、1932(昭和7)年12月松本電気鉄道に社名が変更された。

     

    当時、筑摩電気鉄道は松本駅の東口から浅間温泉駅まで延びる浅間線を1924(大正13)年に開業させている。その後の1932(昭和7)年に松本駅前広場まで路線を延ばした。この路線延長が松本電気鉄道と社名を変更したきっかけとなったようである。ちなみに浅間線は併用軌道区間が多く、車の交通量が増え、路線バスに利用者を奪われたこともあり、1964(昭和39)年3月いっぱいで廃線となっている。

     

    【上高地線で再発見②】正式な路線名はアルピコ交通上高地線だが

    長い間、松本電気鉄道の路線だった上高地線だが、松本電気鉄道2011(平成23)年4月に、アルピコ交通となった。

     

    しかし、今も「松本電鉄」という呼称が良く聞かれる。JR線内は「松本電鉄上高地線はお乗換えです」等のアナウンスがされている。正式には松本電気鉄道という会社はなくなり、正式な路線名もアルピコ交通上高地線なのだが、長年に親しまれてきた名称が今も生き続けているわけである。

    ↑新島々駅方面の先頭車にある案内には「アルピコ交通上高地線」の名前の上に「松本電鉄」と添えられている

     

    ちなみに松本駅上高地線ホームへ階段下りると、停まる上高地線の電車の正面の案内板には「アルピコ交通上高地線」という名称とともに「松本電鉄」の名前が上に添えられている。逆側の正面には、この案内板がない。いかに「松本電鉄」の名前が浸透していて、今も案内を必要としているのか、正面の案内板を見ても良くわかる。

    【上高地線で再発見③】走る電車は元京王井の頭線の3000系

    ここで上高地線の電車を紹介しておこう。現在、走る電車は3000形で、元京王井の頭線を走っていた3000系である。

     

    京王3000系1962年に製造が始まった電車で、鉄道友の会のローレル賞を受賞している。車体は京王初のオールステンレス車体で、井の頭線を走っていたころには、正面上部のカラーが編成ごとに異なり、レインボーカラーの電車として親しまれた。1991年まで製造され、2011年井の頭線を引退している。京王での晩年はリニューアルされ、正面の運転席の窓が側面まで延びていた。

     

    大手私鉄の車両としては全長18.5mとやや短めで、片側3トビラ、さらに1067mmと国内の在来線と同じ線路幅ということもあり、重宝がられ、井の頭線引退後も、上毛電気鉄道、岳南電車伊予鉄道といった複数の地方私鉄に引き取られている。京王グループの京王重機による整備、改造を行った上で譲渡されるとあって、人気のある譲渡車両だった。

     

    上高地線に導入されたのは1999(平成11)年と2000(平成12)年のこと。2両編成4本の計8両が譲渡されている。車両は運転席の窓が側面まで延びたリニューアルタイプだ。

    ↑アルピコカラーをまとった3000形。正面と側面に「Highland Rail」の文字が入る。車内にはモニターが付き、沿線ガイドなどに利用される

     

    3003-3004編成は、松本電鉄1960年前後に自社発注したモハ10形、クハ10形の車体色のカラーラッピングが施されている

     

    導入の際にはワンマン運転できるように改造。車体は白色をベースに紫、ピンク、山吹、緑、赤の斜めのストライプを、正面と側面にいれたアルピコカラーとなっている。乗車すると車内のモニターが付いていることに気がつく。1車両の7か所もモニターが付き、沿線の観光案内や、路線の駅案内などに役立てられている。現在の都市部の新型電車にも小さなモニターが付けられ、沿線ガイドやCMなどが流されているが、上高地線モニターは手づくり感満点ながら、大きくて見やすく、とても良い試みだと感じた。

     

    ちなみに3000形の前に使われていたのが、元東急電鉄5000系だった。本家の車両は青ガエルニックネームで親しまれていた独特の形状を持つ車両で、上高地線でも人気車両だったが、2000年に引退している。2両が新村駅の車庫に保存されていたが、その話題は、後述したい。

     

    【上高地線で再発見④】JRのある線と共用の松本駅7番線ホーム

    ここからは上高地線の旅をはじめよう。上高地線の起点はJR篠ノ井線松本駅だ。ちなみに松本駅JR東日本と、アルピコ交通の共用駅となっていて、改札も共用となっている。上高地線の切符も券売機で購入できる。

     

    券売機では上高地線「電車わくわく一日フリー乗車券1420円)」や、上高地、乗鞍高原、白骨温泉への電車+バス乗継ぎ乗車券も購入可能だ。ちなみにJR各路線からそのまま乗り継いでも、下車駅で精算できる。ただし路線内で交通系ICカードの利用や、ICカードの精算はできない。

     

    また無人駅での下車はワンマン運転ということもあって高額紙幣の両替は不可なのでご注意を。

     

    さて、始発駅の松本駅上高地線の乗り場は7番線にある。位置としては松本駅のアルプス口(西口)側だ。

    松本駅のアルプス口(西口)側の7番線に停まる新島々駅行き電車。ホームはJR線と共用となっている

     

    7番線ホームだが、同じホームの反対側、6番線ホームはJR大糸線普通列車の着発ホームとなっている。つまり大糸線と共用ホームなのである。大糸線の車両は、連絡口の階段からやや離れ、北側に停車する。上高地線の電車が階段下すぐに停まるのに、JR線の方が階段から距離があるというやや不思議な位置関係だ。

     

    上高地線ホームは行き止まり方式。北側に0キロポストがあり、ここが路線の始まりであることが分かる。松本駅からの発車は1時間に1〜3本と本数にばらつきがある。利用の際は事前に時刻表を確認して調整したほうが賢明だろう。列車はみな新島々駅行き電車だ。新島々駅までは所要時間30分ぐらいなので、路線をゆっくり巡るのに最適な長さと言って良いだろう。

     

    松本駅を発車した上高地線の電車は、ゆるやかに右カーブを描きながら走り始める。この時に、注目したいのは左手。JR東日本の松本車両センターがあり、特急あずさとして走るE353系大糸線などを走るE127系などの車両が停まっているのが見える。

     

    数年前まではE351系E257系といったすでに中央本線からは退役した車両が多く停まっていたな、などと思い出に浸りつつ松本車両センターの横を通り過ぎる。そして電車はすぐに西松本駅に到着する。この先で、田川をわたり、さらに右にカーブして、渚駅へ。海なし県なのに駅名が「渚」。それはなぜだろう?

     

    調べてみると古代は松本盆地そのものが大きな湖だったそうだ。そこが渚の語源となっているとされる。その名残は、この地区に田川そして奈良井川(ならいがわ)と川の支流が数多く、流れも緩やかで、曲がりくねる形からもうかがえる。電車は奈良井川を渡り信濃荒井駅へ着いた。

    ↑奈良井川橋りょうを渡る3000形。奈良井川の両岸とも高い堤防になっている。川面と住宅地の標高があまり変わらないことが分かった

    【上高地線で再発見⑤】新村車庫にある古い電気機関車は?

    信濃荒井駅まで沿線には住宅が多かったものの、この先、田畑が増えてくる。田畑では信州らしくそば畑が多い。筆者が訪れた9月末には白い花咲く光景をあちこちで見ることができた。

     

    路線は住宅街を抜けたこともあり直線路が続くようになる。大庭駅を過ぎ、長野自動車道をくぐると、右手から路線に沿う道が見えてくる。こちらが国道158号で、この先で、ほぼ上高地線と並行に走るようになるが、その模様は後で。次の下新駅(しもにいえき)は旧・新村(にいむら)の駅で、「新」を「にい」と読ませるのはその名残だ。

     

    次が北新・松本大学前駅。この北新も「きたにい」と読ませる。平日ならば、大学前にある駅だけに学生の乗り降りが目立つ。

    ↑ED301電気機関車は米国製で、信濃鉄道(現・大糸線)の電気機関車として導入された。信州に縁の深い機関車である

     

    次の新村駅(にいむらえき)は鉄道ファンならばぜひ下りておきたい駅だ。この駅に併設して新村車庫がある。

     

    車庫内で気になるのが焦げ茶色の凸形電気機関車。1926(大正15)年にアメリカで製造された。米ボールドウィン・ロコモティブ・ワークスが機械部分を造り、ウェスティングハウスエレクトリック社が電気部分を担当した機関車で、松本電気鉄道ではED30形ED301電気機関車とされた。この機関車の履歴が興味深い。

     

    松本駅信濃大町駅を結んでいた信濃鉄道(現・JR大糸線)が輸入した1形電気機関車3両のうち1両。1937(昭和12)年に国有化された後には国鉄ED22形と改番されて大糸線飯田線を走った。その時の国鉄ED22 3号機が後に西武鉄道を経由して1960(昭和35)年に松本電気鉄道へ入線していたのだ。その後、工事および除雪用に使われたが、2005(平成17)年に除籍、現在は保存車両として車庫内に残る。

     

    なお国鉄ED22形は長寿な車両で、弘南鉄道大鰐線に引き取られたED22 1は今も社籍があり、除雪用として使われている。技術不足から電気機関車の国産化が難しかった時代の機関車で、その後の国産化された電気機関車も、ウェスティングハウスエレクトリック社のシステムを参考にしている。そんな時代の電気機関車が、まだこうしてきれいな姿で残っているわけである。

     

    余談ながらJR大糸線は、昭和初期までは信濃鉄道という鉄道会社が運営していた。現在、長野県内の旧信越本線しなの鉄道が運行している。しなの鉄道には、しなのを漢字で書いた信濃鉄道という、先代の会社があったことに改めて気付かされた。

     

    【上高地線で再発見⑥】新村車庫で保存されていた元東急電車は?

    新村車庫で古参電気機関車とともに、ファンの注目を集めていたのが5000形。現在の3000形の前に上高地線の主力だった車両だ。前述したように東急5000系で、新村車庫には5005-5006編成の2両が保存されていた。2011(平成23)年には松本電鉄カラーから緑一色に塗りかえられ、イベント開催時などに車内の公開も行われていた。

    ↑新村車庫内に留め置かれていた5000形。2011年に塗り替えられたが、2017年の撮影時にはすでに塗装が退色しはじめていた

     

    久々に新村車庫を訪れた筆者は、ほぼ5000形の定位置だったところにED301形電気機関車と事業用車が置かれていたことに驚いた。そして車庫のどこを見ても、緑色の2両がいない。どこへいったのだろう。まさか解体?

     

    心配して調べたら2020年春に「電鉄文化保存会」という愛好者の団体に引き取られていた。同保存会は群馬県の赤城高原で東急デハ3450型3499号車の保存を行う団体で、この車両に加えて上高地線5000形2両を赤城高原に搬入。会員は手弁当持参で、鉄道車両の整備や保存活動にあたっている。

     

    こうした団体に引き取られた車両は、ある意味、幸運と言えるだろう。末長く愛され、赤城の地で保存されることを願いたい。

     

    【上高地線で再発見⑦】渕東駅と書いて何と読む?

    新村駅から先の旅を続けよう。新村駅から次の三溝駅(さみぞえき)へ向かう途中、右手から道が近づいてくる。この道が先にも少し触れた国道158号。路線はこの先、付かず離れず、道路と並行して走る。国道158号の起点は福井市で、岐阜県高山市を経て、松本市へ至る総延長330.6kmの一般国道だ。一部が野麦街道と呼ばれる道で、明治期には製糸工場に向けて女性たちが歩いた隘路で、飛騨山脈を越える険しい道だ。岐阜県長野県の県境を越える安房峠(あぼうとうげ)の下に安房トンネルが開通したことにより、冬期も通れるようになっているが、古くは行き倒れる人もかなりいたとされる。

     

    そうした国道を横に見ながら森口駅、下島駅と走るうちに、この地の典型的な地形に出会うようになる。右手、眼下に流れる梓川。その河畔よりも、電車は一段、高い位置を走り始めていることが分かる。波田駅(はたえき)付近は、そうした階段状の地形がよくわかる地点で、明らかに河岸段丘の上を走り始めたことが分かる。この波田駅は梓川が流れる付近から数えると2つめの崖上(段丘面)にある。そして次の駅までは河岸段丘を1段下り、梓川の対岸まで望める地域へ出る。

     

    ちなみに上高地線の進行方向の左手、南側には段丘崖(だんきゅうがい)が連なり、この上はまた平坦な地形(段丘面)となっている。

    ↑渕東駅の裏手から駅を望む。先に山が見えるが、ここが河岸段丘の崖地になっていて、上部にまた平野部が広がっている

     

    ↑渕東駅前に広がる水田。稲刈りが終わり信州は晩秋の気配がただよっていた。藁は島立てという立て方で乾燥させ利用する

     

    さて渕東駅である。「渕」そして「東」と書いて何と読むのだろう。何もヒントなしに回答できたらなかなかの鉄道通? 筆者は残念ながら読めなかった。

     

    「渕」は訓読みならば「ふち」と読む。この「ふち」のイメージが強く、駅名が思い付かなかったのだが、音読みならば? 「渕」は「えん」と読む。なるほど、だから渕東と書いて「えんどう」と読むのか。理由を聞いてしまうと理解できるのだが、日本語は難しいと実感する。

    ↑渕東駅前には赤く実ったリンゴの木もあった。元井の頭線の電車が走る目の前に赤く色づくリンゴの実る風景が逆に新鮮に感じられた

     

    ちなみに駅名標には上高地線イメージキャラクターが描かれる。イメージキャラクターは「渕東なぎさ」だそうだ。渕東駅と渚駅が組み合わさったキャラクターなのである。

     

    【上高地線で再発見⑧】新島々駅前にある古い駅舎は?

    渕東駅からさらに段丘を下りる形で終点の新島々駅へ向かう。梓川がより近づいていき、左右の山々も徐々に迫ってくる。広がっていた松本盆地の平野部も、そろそろ終わりに近づいてきたことに気付かされる。

    ↑河岸段丘を1段おりつつ新島々駅へ向かう電車。先には小嵩沢山(こたけざわやま)や無名峰などの標高2000mを越える山々が望めた

     

    左右の山々が取り囲むように終点の新島々駅がある。とはいえ付近にはまだ平坦な地があり、駅前には広々したバスの発着所がある。ここから上高地、白骨温泉、乗鞍高原、高山方面への路線バスが出ている。ちなみに上高地へはマイカーに乗っての入山はできないので注意。路線バスの利用が必須となる。

     

    さて筑摩鉄道が開業させたのは島々駅までだったのだが、その島々駅はどうなったのだろう。実は開業当時には新島々駅という駅はなかった。1966(昭和41)年に赤松集落にあった赤松駅が、現在の新島々駅に改称されたのである。

    ↑新島々駅の駅舎。新島々バスターミナルとあるように、バスの発着所スペースの方が鉄道の駅よりもむしろ大きく利用者で賑わう

     

    終点だった島々駅の今は後述するとして、赤松駅から新島々駅に駅名を変更された時に、バスターミナルの機能が移され、整備されている。

     

    その後の1983(昭和58)年9月。長野を襲った台風10号により、土砂が新島々駅〜島々駅間の路線に流れ込み不通となってしまった。1985(昭和60)年1月1日に、新島々駅〜島々駅間は正式に廃止となった。すでに新島々駅にバスターミナル機能が移っていたので、島々駅まで無理に復旧して電車を走らせる必要もなかったということだったのだろう。

    ↑新島々駅の駅前には旧島々駅の駅舎が移築されている。以前は観光施設だったが現在は未使用。歴史案内があったらと残念に感じられた

     

    【上高地線で再発見⑨】草むらの中に旧鉄橋が埋もれていた!

    新島々駅の先は廃線となっている。その跡はどうなっているのか、興味にそそられ歩いてみた。まずは新島々駅の構内から、駅の先、100mほどは線路が残されている。そしてホーム1面2線の線路が先で合流している。今でもすぐに島々駅へ向かって線路が復活しそうな線路配置である。

     

    ただホーム100m先からは線路が外され、途切れていた。新島々駅のある付近には国道158号の両側に赤松集落がある。古い地図を元に歩くと、旧路線は赤松集落の裏手を抜けて、すぐに国道158号と合流するようになっていた。

    ↑新島々駅から集落の裏手を通り、まもなくして国道に合流する。そのポイントから新島々駅側を見る。路線跡は砂利道となっていた

     

    国道158号沿いに合流するように走っていた旧路線。国道よりも1段、高い位置を路線が設けられていた。赤松の集落内は砂利道として旧路線が使われていたが、国道に合流後、しばらくすると旧路線は草木に埋もれるようになった。とても路線上は歩けないので、国道の歩道を歩く。国道沿いには一軒の土産物屋さんがあり、店の上を走っていたらしき名残がうかがえる。

     

    さらに旧島々駅を目指す。歩くと左手に路線がほぼ並行していたが、草木が繁り、良く見えない。しかし、1か所、廃線ということが分かる箇所があった。雨が降ると川が流れる階段状の窪地があり、そこに古い鉄橋が架かっていた。

    国道158号を廃線沿いに歩くと、途中に発見した旧鉄橋。窪地をまたぐように鉄橋が架かる。錆びついていたが鉄橋跡だと分かった

     

    【上高地線で再発見⑩】旧島々駅はこの辺だと思うのだが……

    もなかったら廃線跡も無駄歩きになりそうだったが、錆びついた鉄橋を発見。少しは鉄道の形跡を確認することができた。

     

    さらに歩き、島々駅があった付近へ到着する。前渕(まえぶち)という集落に上高地線の終点、島々駅があった。梓川のほとりにある小さな集落で、山々に囲まれ、新島々駅付近に比べると平坦な土地が乏しい。古い地図を見ると今の国道158号上に駅があったようだ。旧駅前付近は、広々した空き地となっていた。

    ↑旧島々駅前付近は広い空き地となっていた。左下は1970年代の地図で、旧島々駅は現在の国道(写真右)になったことが分かる

     

    前渕集落の中に小道が通るが、地図を見るとこちらが旧国道のようだ。少し歩くと、数軒の家々があり、食堂や旅館だったたたずまいがある。旧旅館の建物にかかる案内地図には、島々駅があった当時のまま残されていた。ちなみに集落名は前渕でここでは「ぶち」と読む。前述したように、上高地線の駅名の渕東は「えんどう」と読む。同じ旧波田町内の地名なのだが、日本語の複雑さを改めて感じた。

     

    新島々駅〜島々駅間は1.3km、山あいのウォーキングコースとしてはちょうど良い距離だった。

     

    最後に上高地線イベント情報を一つ。車内でバイオリンの生演奏が楽しめるイベントが不定期ながら開かれている。次回は10月18日(日曜)で、演奏が楽しめる列車は松本駅10時10分発、新島々駅発10時53分、松本駅11時30分発の電車内。編成の1両目でプロの音楽家・牛山孝介さんの演奏が楽しめる。特別料金や予約は不要だ。無料でプロの音楽家の演奏が楽しめる。運良く乗り合わせた筆者としてはとても得した気持ちになった。

     

    車窓から信州の山々を眺めながら生演奏を楽しむ。この路線ならではのロケーションの良さと、バイオリンの調べがぴったり合うことに気付かされた。

    ↑演奏を行う牛山孝介さん。牛山さん松本市在住で、松本モーツァルトオーケストラコンサートマスターを務める 2018年7月15日撮影

     

    信州松本を走る「上高地線」‐‐巡って見つけた10の再発見


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 userdisk.webry.biglobe.ne.jp)



    糸魚川から大糸線へ!

    大糸線活性化協議会とえちごトキめき鉄道JR西日本金沢支社2020年10月9日(金)、観光列車「えちごトキめきリゾート雪月花」の大糸線乗り入れ運転を、2017年以来3年ぶりに行うと発表しました。

    「えちごトキめきリゾート雪月花」は通常、土休日を中心に、えちごトキめき鉄道の上越妙高~糸魚川間で運転。大きな窓から海や山を眺めながら、車内で地元の旬の食材をいかした料理を楽しめます。

    今回の大糸線乗り入れは11月23日(月・祝)に実施。区間は直江津10時06分発)~糸魚川~南小谷~糸魚川(13時58分着)間です。車内では昼食として、糸魚川の老舗割烹・鶴来家による地元の旬の食材を使った和食三段重を提供。さらに乗車記念品の配布や地元特産品の進呈も予定されています。

    全車指定席で定員は25人。代金は2万1800円です。予約受付は10月12日(月)10時からえちごトキめきリゾート雪月花予約センター(電話)で行われます。

    なお「雪月花」の乗り入れ当日、大糸線普通列車糸魚川10時30分発、南小谷12時07分発)は運転を取り止め、同時刻でバス代行輸送が行われます。

    あわせて11月23日(月・祝)は、「トキてつサポータークラブ」会員や沿線3市の住民を対象に、雪月花特別乗車体験会も初めて開催予定。定員は先着30人で、クラブ会員は10月19日(月)10時から、沿線住民は26日(月)10時からメールや電話で予約受付が始まります。クラブ会員でない人は、10月18日(日)までに入会すれば応募が可能です。当日はトキ鉄の1日フリーパス「じもパス」(1500円)の購入が必要です。

    JR大糸線を走る「えちごトキめきリゾート雪月花」(画像:えちごトキめき鉄道)。


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 cdn-ak.f.st-hatena.com)


    限定販売。

    各路線とも1000枚限定配布です。

    新潟県内の鉄道8路線の写真と解説がプリントされた「鉄道カード」全8種類が、2020年10月1日(木)より、新潟県内の7駅(うち1か所は駅最寄り施設)にて配布されています。

    鉄道カードの配布を行っているのは、新潟県を中心に設立された新潟県鉄道整備促進協議会です。県内鉄道路線の利用促進を目的に2019年度から行われている取り組みで、今年は越後線只見線の2路線のカードを新規追加、残る路線についてもカードデザインを昨年度のものから一新しています。

    各路線の鉄道カードの配布場所は、下記のとおりです。なお、配布枚数は各路線1000枚限定、12月31日(木)に配布終了となります。配布時間は場所ごとに異なります。

    ・JR米坂線:越後下関駅
    ・JR飯山線十日町駅(西口改札)
    北越急行ほくほく線十日町駅(西口改札)
    えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン:妙高高原駅
    えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン直江津駅
    ・JR大糸線糸魚川駅在来線改札)
    ・JR越後線:寺泊駅
    ・JR只見線浦佐駅(隣接の「うおぬま・浦佐駅観光案内所MYU」にて配布)

    鉄道カードを受け取るには、改札窓口で乗車券を駅係員に提示し、カードを希望する旨を伝えます。浦佐駅の場合、駅隣接の配布場所で、乗車券を撮影した画像を提示します。なお、乗車券には企画乗車券も含まれますが、定期券では受け取りができません。

    日本海ひすいラインの新デザインの鉄道カード(画像:新潟県鉄道整備促進協議会)。


    (出典 news.nicovideo.jp)

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