ハヤブサ24

九州出身の鉄道ファンです。
現在は関東に在住しています。このブログは主に鉄道系のニュースなどを投稿したり、時々、鉄道で旅したときの日記なども投稿します。 鉄道以外の乗り物も投稿することもたまにはあります。

    カテゴリ: 北陸の鉄道



    (出典 www.westjr.co.jp)


    どんな駅になるのかな?

    1 首都圏の虎 ★ :2020/03/27(金) 21:18:26.03 ID:BvyBcwCa9.net


    (出典 travel.watch.impress.co.jp)


    石川県小松市は、2023年春の北陸新幹線小松駅開業に向けて、プロモーション活動を開始した。

     第1弾として、北陸新幹線小松駅開業のシンボルとなる「ロゴ」「キャッチコピー」を決定。キャッチコピーは「いよいよっ小松駅へ」。

     小松市は、3月27日からこれらを核としたプロモーションを全国展開。さらに小松駅構内の装飾や、プロモーション動画の公開などを実施し、広く小松市の魅力を発信する。


    (出典 Youtube)


    2020年3月27日 14:22
    https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1243489.html


    【北陸新幹線「小松駅」、2023年春の開業に向けて「いよいよっ小松駅へ」プロモーション】の続きを読む


    富山地方鉄道株式会社(とやまちほうてつどう、英: TOYAMACHIHO RAILROAD CO.,LTD.)は、富山富山市及び、富山県東部を基盤とする中規模私鉄である。通称は地鉄(ちてつ、英称:Chitetsu)ないしは富山地鉄。本社は富山富山市桜町一丁目1番36号。 富山地方鉄道
    91キロバイト (12,958 語) - 2020年3月21日 (土) 04:38



    (出典 www.rail-travel.net)


    富山港線が富山地方鉄道のレールとつながりました。

    1 花火祭り ★ :2020/03/21(土) 06:10:56 ID:fsHRWp6o9.net

     JR富山駅をはさみ富山市内の南北を走る2つの路面電車の路線が21日に接続し、直通運転を開始するのを前に、開通を祝う式典が20日、同駅で開かれた。市民の悲願だった南北の交流活性化や観光振興が期待され、鉄道関係者やファンらが盛大に祝福した。

     明治41(1908)年の富山駅開業以来、市街地は長く南北に分断されていたが、平成27年の北陸新幹線開通に伴う駅の高架化で、2つの路面電車の接続が可能に。次世代型路面電車(LRT)による全長約15キロの直通交通網が完成する。

     式典では森雅志・富山市長が「富山市民100年の夢が実現する」とあいさつ。「富山つながる、ひろがる。」とデザインされた記念のラッピング車両が披露された。

    路面電車の南北接続を記念してラッピングされた車両にカメラを向けるファンら=20日午後、富山市

    (出典 prt.iza.ne.jp)


    http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/200320/lif20032021230046-n1.html


    【【鉄道】ようやく南北接続へ…富山の路面電車】の続きを読む


    富山港線(とやまこうせん)は、富山富山市の富山駅北停留場から同市の岩瀬浜駅までを結ぶ富山地方鉄道の軌道・鉄道路線である。 現在は富山地方鉄道の路線であるが、元は富岩鉄道によって開業した鉄道路線で、昭和10年代に富山電気鉄道と合併、富山電気鉄道が富山地方鉄道へ社名変更した後に戦時買収により国有化さ
    86キロバイト (11,710 語) - 2020年3月19日 (木) 00:33



    (出典 psumega.sakura.ne.jp)


    戦時中に国有化されたが再び富山地方鉄道の路線になった。

    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/03/20(金) 08:26:26 ID:JK3Pa07K9.net

    3月21日、富山駅の南北から延びていた路面電車、富山港線と富山軌道線が、いよいよ接続されます。
    接続する2路線のうち、富山駅と岩瀬浜駅を結ぶ富山港線は、かつては私鉄の路線として開業しましたが、国鉄、JR、第三セクターを経て、再び私鉄路線となった経歴を持つ路線です。
    この多くの経歴を持つ路線には、どのような歴史があったのでしょうか。

    私鉄路線として開業した富山港線

    富山港線の終点である岩瀬浜駅の周辺は、江戸時代から明治初期にかけては、日本海側を巡る「北前船」の寄港地として栄えていました。
    北前船は鉄道の発達とともに次第に衰退していきましたが、岩瀬はその後も重要港湾としての地位にあり続けました。そして、その岩瀬から富山市街地へ連絡する路線の建設を目指したのが、「富岩(ふがん)鉄道」です。
    富岩鉄道は、1924年に富山口~岩瀬浜間を開業。1927年に富山~富山口間を延伸し、富山駅と岩瀬浜を結ぶ、現在の富山港線の原型を形作りました。
    ところで、当時の富山には、富山軽便鉄道、富山県営鉄道、越中電気軌道、富山電気鉄道など、多くの鉄道会社が存在していました。
    そのうちの1つ、富山電気鉄道の創立者である佐伯宗義は、県内の各市街を鉄道路線で結ぶ「一県一市街化」構想という、当時の地方都市としては画期的な計画を持っていました。
    この構想を進めるため、富山電気鉄道はまず、1931年に立山鉄道と合併。自社で建設した区間と組み合わせ、富山~滑川間、富山~岩峅寺間を結ぶ路線が誕生しました。
    そして1943年には陸上交通事業調整法に基づき、県内の民鉄・公営鉄道を全て吸収。社名を改称し、富山地方鉄道となりました。
    富山県内の私鉄として事業を営んでいた富岩鉄道もこの流れに呑まれ、富山地方鉄道誕生の2年前となる1941年に富山電気鉄道へ吸収合併。
    富岩鉄道の路線は富山電気鉄道富岩線となりました。

    国有化されるもローカル線に

    1943年、富岩線は大変革を迎えます。重要港湾である岩瀬へのアクセス路線となっていた富岩線は、大陸への軍事輸送に資する路線として国有化されることとなったのです。
    同年1月に富山地方鉄道富岩線となったのもつかの間、6月には鉄道省管轄の富山港線となりました。
    戦争遂行のために国有化された富山港線ですが、戦後は大陸への軍事輸送という目的を失い、富山駅から伸びる1ローカル線といった扱いとなりました。富山における港の中心も、1968年には新湊市(当時)へ移り、岩瀬の地位は低下していきます。
    戦後、国内各路線で電化が進められ、北陸本線も1969年までに全線が電化されましたが、富山駅を含む田村~糸魚川間は、地方ではコスト面のメリットがある交流電化となりました。
    一方、私鉄時代に直流で電化されていた富山港線は、国有化後も電化方式が変更されることはありませんでした。そのため、1985年に交直両用の457系が投入されるまでは、全国各地から旧型車両が集められ、運用されていました。
    国有化後の富山港線の車両は、各地の買収国電からやってきた車両が主流。1967年の架線電圧昇圧によりこれらの老朽車は一掃されたものの、代替車両は最後の近距離用旧型国電形式である72系でした。
    JR西日本が宇野線に改造投入したクモハ84形を除くと、富山港線は国内で最後まで72系が使用された路線となっていました。
    1985年に72系が置き換えられた後も、富山港線の扱いは良いものではありませんでした。富岩鉄道時代は30分に1本の間隔で運転されていた列車も、末期には定期列車20往復のみ。
    うち2往復は休日運休となっていました。さらに、2001年にはラッシュ時を除く時間帯の列車に、キハ120形が導入。富山港線は電化路線であるにも関わらず、コスト削減のために気動車が投入されることとなったのです


    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200320-30000225-tetsucom-ind&p=2
    3/20(金) 8:05配信


    (出典 upload.wikimedia.org)


    (出典 wind.ap.teacup.com)


    (出典 blog-imgs-95.fc2.com)


    (出典 blogimg.goo.ne.jp)


    (出典 b767-281.cocolog-nifty.com)


    (出典 stat.ameba.jp)



    (出典 Youtube)

    想い出の鉄道シーン58 富山港線 73系


    (出典 Youtube)

    想い出の鉄道シーン61 富山港線73系さよなら運転


    【【鉄道】富山港線が路面電車に生まれ変わった理由 私鉄からJR、そして再び私鉄へ】の続きを読む



    (出典 art1.photozou.jp)


    目玉の列車

    1 ひぃぃ ★ :2020/03/08(日) 22:33:44 ID:0EBVkUV49.net

    まるで高級料亭のような観光列車が、石川県内を走っていることをご存じだろうか。

    金沢駅から和倉温泉駅の間を運行するその列車の名は、「花嫁のれん」。

    結婚する娘の幸せを願って、色鮮やかな暖簾をもたせるという北陸の風習「花嫁のれん」から名付けられている(運行会社のIRいしかわ鉄道公式サイトより)。

    石川県の伝統工芸品・輪島塗のような赤い色が、外装にも内装にもふんだんに用いられた花嫁のれん号。その上に色とりどりの花や紅葉、ちょうちょが描かれていて華やかだ。

    座席の前には「桜梅の間」とまるで料亭や旅館のような札が掛けられていて、電車の中とは思えない。

    こちらの写真を投稿したのは、ツイッターユーザーのとさろく(@ef651036jrf)さん。花嫁のれん号に乗車し、

     「これが列車なの凄すぎるでしょ。高級料亭ちゃうぞこれ」
     「マジで観光列車の中でも別格やぞ、乗ろう!」

    と感想を呟いている。

     「高級料亭みたいな金沢~和倉温泉の観光列車、花嫁のれん号。マジで観光列車の中でも別格やぞ、乗ろう!」

    ■車内の隅々まで和風

    とさろくさんに、「花嫁のれん」のどんなところに魅力を感じたのか聞くと、

     「まず、車内に最近の観光列車にありがちな『とりあえず木で暖かみを出す』というようなテーマのマンネリ化が無いんですよね。花嫁のれんは金沢の特徴である加賀友禅などの優美さの雰囲気を車両全体で出すことに強いこだわりを持っていると感じました」

    との答え。

    JRおでかけネットの「花嫁のれん」紹介ページによると、この車両のコンセプトは「和と美のおもてなし」。輪島塗や加賀友禅、金沢の金箔など石川県の工芸品の魅力を味わえる装飾が施されている。

    「花嫁のれん」は2両編成で、とさろくさんが乗った1号車には8つの半個室がある。

    「桜梅の間」「撫子の間」「扇絵の間」......といったように名前がついていて、各部屋の壁にはそれぞれ異なる友禅のデザインがあしらわれているという。違う席に乗れば、全く違う旅情が味わえそうだ。

    花嫁のれん号の「和」へのこだわりは客席だけではない。「車内の隅々までこだわっている点もよいと感じた所でした」ととさろくさん。

    例えば、軽食の提供や車内販売を行うアテンダントが和装だったり、和服を着た男女のアイコンがトイレの案内に使われていたりする。

    また、とさろくさんが「高級料亭みたい」と感じた理由は、列車のデザインだけでなく、中でのおもてなしの細やかさにもあるようだ。

     「車内で軽食を食べられるのですが、配膳の方法とタイミングが心地よいものでした。それに加えてだいたいの傾向を熟知されているのか、ちょうど食べ終わり一息つき終わった時に弁当ガラの回収が来ます。驚く程にタイミングが完璧でした」(とさろくさん)

    華やかな車内に丁寧なおもてなし。花嫁のれん号に乗れば、時代劇に出てくるお姫様のような気分を味わえるかもしれない。石川県に行くときには、ぜひこの列車に乗って旅をしてみたいものだ。

    2020年3月8日 20時0分 Jタウンネット
    https://news.livedoor.com/article/detail/17933726/

    画像

    (出典 image.news.livedoor.com)


    (出典 image.news.livedoor.com)


    (出典 image.news.livedoor.com)


    (出典 image.news.livedoor.com)


    【【鉄道】これが本当に電車なの? 石川県を走る「花嫁のれん号」はまるで高級料亭】の続きを読む



    (出典 www.atw.ne.jp)


    新幹線の駅がないところは衰退している。特急を復活させる手もあるような気がします。

    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/03/07(土) 22:38:46 ID:v+qZ27Sn9.net

    北陸新幹線金沢開業以降、金沢駅や富山駅周辺では外資系ホテル進出やマンション建設が相次ぎ、新幹線効果が続く一方、停車駅から遠く波に乗れない地域もある。一部在来線特急の始発駅だった魚津駅(富山県魚津市)は、利用客が1割以上減り、地価も下落が続く。富山県は効果が富山市に集中する傾向にあり、広い地域への波及が課題だ。敦賀開業後、福井県内では魚津と同様、鯖江駅などで在来線特急の停車がなくなる可能性があり、関係者は危機感を募らせている。

    【画像】3月の魚津駅

     3月の夕方、魚津駅には通勤通学客がまばらだった。「昔は商店街の駐車場が車であふれていたが、今はがらがら。先が見えない」。駅南西側の酒店経営者(66)はこぼす。

     魚津市は県東部に位置し、人口約4万2千人。以前は新潟方面に接続し、首都圏との橋渡し役を担った特急「はくたか」、関西圏につながる「サンダーバード」が停車し、豊富な海産物を目当てに県内外から訪れるファンも多かった。

     だが開業後、乗り換え需要がなくなり、東京からの客は新幹線で素通りに。JRなどによると、最近3年間(2016~18年度)の1日の平均乗降客数は4112人で、開業前(12~14年度)から約15%落ち込んだ。

     商店街の漆器店の経営者(51)は「減ったのは仕事や観光の人だと思う。なじみの客を大事にして、新幹線のせいにしないで努力するしかない」と話す。

     「立山黒部アルペンルート」は、県が重点に位置付ける観光地。運営会社によると、開業初年度の利用者は10%増の99万7千人だったが、その後伸び悩む。19年度は大きく減少し、7年ぶりに90万人を割った。

     ただ、19年度は台風による一過的な影響との見方がある。訪日旅行客の増加傾向が続くなど、明るい兆しも出てきている。

    3/7(土) 20:41 Yahoo!ニュース
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200307-00010003-fukui-l18


    (出典 i.imgur.com)


    (出典 i.imgur.com)


    【【鉄道】北陸新幹線、止まらない駅の悲痛 開業5年、主要都市と効果に格差】の続きを読む

    このページのトップヘ